2013年12月9日
強者と弱者 坪田英煕
子供の頃から数え切れないくらいお医者様に診て頂いてきました。こどもにとっては、お医者様は痛い注射をする怖いせんせい。おとなになってからは、身体の不調、不快、痛みを取り除き、不安を和らげて下さる大事な存在です。
診察室で白衣のお医者様と向かい合って不安な気持で診察を受け、時には入院してベッドに横たわって回診の先生を見上げる。そんなところに身を置くと、病気の自分はひ弱な存在、お医者様は強く絶対的な権威のように感じます。
自分はもう取り返しのつかない状態に陥っているかも知れないという不安に襲われる一方で、お医者様がたは病気になったり、亡くなったりすることがないんじゃないかとさえ思うようになります。
あるとき高校時代からの友人の医師にそんな感想を洩らしました。すると彼は居ずまいを正して、それは大きな間違いだ、医学部卒業の仲間を見ても医者ほど損耗率の高い職業はないと言うのです。
入学試験の苛烈な競争、医学部の厳しく長い修業期間、医師国家試験という関門、研修医の過酷な勤務、患者に接して感染するリスクは毎日地雷原を歩いているようなもの、博士号という更なる難関、病院経営の難しさ。
何よりもひとの健康と生命を預かる責任の重さと精神的負担。
どれをとっても終生真に身も心も休まるときがない。長生きできる条件には恵まれないのが医者なんだよというのです。
文系の自分たちだって試験や色んな関門を潜り抜けてきたし、若い頃には月百時間を超える超過勤務を続けたことだってある、と抗弁しようとしかけましたが、話の後段を聞いて、確かに違うと今更のように気がつきました。
自分は会社に入って退職するまで、どの段階でもいろんな失敗をしてきたが、いかなる場合もひとの健康や命に危険を及ぼすようなことはなかった。そこがお医者様と自分たち文系の職業の本質的な違いなんだと。
平成25年12月9日
坪田英煕