2013年12月27日
露寇(ろこう)事件始末(2-2) 荻野鐵人
伝馬船(でんません)(端船(はしぶね))で上陸し、島の探索がはじまった。
砂地で草木もなく、浜辺まで雪がある。
雪を踏みわけ踏みわけ人家を尋ねるも発見できない。
食糧も乏しくなってもいたし、何よりも水を探すのが先決だった。
水は見つかったが、人の気配もないわけでもない。
警戒しながら何日も島を廻っているうちに、再び暴風に遭った。
風が止んで翌朝船に戻ってみると、船体はむざんに二つに割れて、船底のない船が磯の岩礁の間に打ち上げられて、横倒しになっていた。
もうどんなことがあっても、自分たちはここから脱出することはできないと思った。
まだ船を修繕すればという気持もあったが、自力で国へ帰る方法が無くなってしまったのである。差し当たっての問題は、船に積んであった食糧と衣類である。
当分食いつなげるだけあると思っていた米も全部失ってしまい、この寒さで直ぐにも必要な衣類も亦尽く波に持って行かれてしまった。
絶望的な気持になった。
船長の平兵衛も、もう虫の息で采配を振るのもおぼつかない。代わって津太夫が今は指揮をとっている。
六月五日になって、煙が立ち上る所を見つけ、人家と思いそのあたりを舟で捜し回っているうちに、人影を三人ほど発見した。
皆の喜びは大変なものだった。
しかし、上陸しようと思ったが適当な場所がない。
捜しているうちに砂浜を見つけた。
その砂浜へ漕ぎ寄せてみると、初め見かけた三人の外に、三十人ほどの人数であった。
頭は残切にして、髭をのばし、顔色はあか黒く、素足に膝までの鳥の羽を綴った衣服や、獣の皮で作ったもので身を包んだ異様の島人たちで、たじろいだ。
向こうから何かことばをかけて、手招きしているように見えるが、言葉の意味は通じない。
早く上がれと言っているようで、しきりに手招きしている。
しかし、こちらは、招かれれば招かれるほど気味悪く、これまで辛苦して永らえてきた命もそれまでとなるのではと迷っていると、「とてもこの小舟で逃げ延びてもどうすることでもない。たとえ命を失うようなことになっても、一先上陸してみよう」
と、津太夫が言って、皆もそうすることに決めた。
ところが、鬼のようにおそろしげに見えた島人は驚くほど親切で、男は魚を持って来る、女は桶或いは皮袋に水を入れて持って来た。
舟にある鍋を指し、これで煮て食べろと言っているようで、萱(かや)のような枯草を持って来て、焚きつけてくれた。
食べ終わってここで寝ろと言われるまま疲れ果てて眠ったが、今夜中に首をはねられるだろうと言うものもあり不安だった。
だが、数ケ月の疲れもたまっていたためか、たわいもなく眠り込んだ。
翌日も魚類や焚物(たきもの)などを持ってきてくれた。それを鍋で残った米とともに煮て食べた。
島人はどこで寝るのか、人家もない。彼等に教えられたまま砂浜に枯草を敷いて寝た。
島人の着ているものは鳥の羽でできており、鳥の皮を羽毛のままむき、毛の方を内にして着用している。
また、鹿、とどの類いの海獣の皮も使っている。
男女とも素足で、男の顔色は黒いが、女は日本人のように白い。
口のまわりに入れ墨をして、牛のように鼻に穴をあけ、魚骨を細工したものを通している。
小さなガラス球を上唇までぶら下げているものもある。
夫を持った婦人は後ろの方へ島田まげのように結っているが、娘っ子は三つ編みにしている。
耳にも飾りをぶらさげている。
島人の住んでいるところを捜し回ったところ、平地に深く穴を掘って、屋根は拾い集めた流木を屋根の骨として萱のような草を葺きかけ、その上に土をかけておいて、その真ん中に人が通れる穴をあけている。そこから梯子で下に降りている。
島人たちが心を尽くしていたわり介抱してくれたので、漂民たちはようやく生き返った思いがした。