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2014年1月22日

露寇(ろこう)事件始末(4-1) 荻野鐵人

5 若宮丸漂民の帰国

 享和三年(1803)三月初旬、十三人の若宮丸漂民に、まるでふって湧いたかのように、首府ペテルブルグへ向け、ただちに出立すべき旨を告げる突然の官命が下った。
 新皇帝アレクサンドル一世の勅命とのことであり、首府から引率役人がすでに到着し、市庁に待機していた。
 あわただしい旅立ちだった。
 永い滞留生活の中で、すっかり親しくなったイルクーツク住民との別離の情も交わす暇とてなく、漂民一同は四頭立ての馬車の人となった。
 欧亜にまたがるロシア帝国の広大な内陸部を、宿駅ごとの継馬(つぎうま)で、王命による特急便の一隊は、昼夜をわかたず疾駆した。
 途中、古都モスクワにて一宿し、市内をざっと見物した他は、ひたすら目的地をめざす旅程だった。
 あまりの強行軍に、左太夫と清蔵が体調を崩し、旅立ちの数日後に脱落した。
 銀三郎もペルマに置き去りとされた。
 十人となった若宮丸漂民は、四月二十六、七日(陽暦六月十五、十六日)頃に、ようやくペテルブルグに到達した。
 この若宮丸漂民たちにとっては、突発事としか受け取れなかったであろう、やみくもな首府への馬車旅行は、ロシア国内における政情の変化が深くあずかっていたのだった。
 極東のイルクーツクにあった頃、若宮丸漂民が風の噂にその名を耳にしたか否かは、もとより定かではないが、このころヨーロッパ全土は、コルシカ島生まれの一代の風雲児、ナポレオン・ポナバルトの軍馬の轟きに、たえず震撼され続けていた。
 フランス共和国の常勝将軍として、一躍、頭角を現したナポレオン・ポナパルトは、1799年(寛政十一年)十一月、ブリュメール十八日のクーデターで、独裁者(執政、皇帝となるのは1804年5月)の地位を登りつめる。
 しかも、この共和政治の圧政者は、一個のカリスマと化し、フランス革命の栄光をも背負った。
 そして、その軍事的天才を縦横に発輝し、電撃的勝利の連続によって、大陸の王制諸国家の基盤を根底からゆるがせていた。


  • 共立荻野病院             院長 荻野鐵人
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