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2014年2月6日

露寇(ろこう)事件始末(4-13) 荻野鐵人

 文化元年九月六日(1804年10月9日)朝、出島商館長ヘンドリック・ドゥーフを同行した長崎奉行所の野母崎遠見番の二人の小役人は、長崎の伊王島と神ノ島間に投錨中のナデジダ号に乗り付け、来航の目的などを聞きただした。
 ロシア側はオランダ語に堪能なドイツ人のラングスドルフが通訳を勤め、日本側はドゥーフが通訳となり、日露間の問答が行われた。
 その時の模様をドゥーフの回想録によると、「船長クルーゼンステルンは予に応接し、予を客室に案内せり。予は此国の習慣に従って、先ず将軍の代表者たる委員に立礼{お辞儀}し、次に露国の使節ヒ向かって敬礼せしに、彼は予にすこぶる丁寧に挨拶せられたり。此日の尋問は余り重要なるものに非ずして、例へば航海に費やしたる日数は幾何か、最後の出発地は何処か、使節の此旅行の目的は何か、等の類なりき。又委員は通詞をして使節に告げしめて曰く、日本の習慣にては、将軍の代表者に対して立ちて敬礼すべきものなれば、露国の使節にも之を期待すと。然るに使節レザノフ氏は高貴の身分なるため之を為し難しとて容赦を請へり。通詞は日本の貴顕が外国に至る時は、固く其国に行はるゝ習慣を守るべしと説きたれども、使節は頑として之に応ぜざりき、是に於て我等は日本の委員と共に、別を告げて出島に帰れり」
 ドゥーフはレザノフの日本通商への強い意欲を知ると、オランダの対日貿易の独占が損なわれることを恐れ、ロシアの領土的野心の危険さを暴き、通商を拒絶するよう訴える長崎奉行宛ての上申書を用意したという。
 長崎からの急報は、約半ヵ月余かかり、十月二日、江戸に届いている。
 時の幕閣中枢部は、将軍家斉を頭にいただく、四人の老中、戸田采女正氏教(うねめのしょうじのり)、牧野備前守忠清、青山下野守(しもつけのかみ)忠裕、土井大炊頭(おおいのかみ)利厚(としあつ)によって構成されており、松平定信と行を共にした戸田と牧野が老中の座にあり、寛政改革の最後の余風が残る実務派官僚主導形の政権であった。
 寛政期、ロシアの南侵におびえ緊張状態が続いた蝦夷地問題が、当時、一時的に緩和されていた事情もあった。
 ナデジダ号の来航にあたっての幕府老中の政策は、現状維持の事なかれ主義に終始する。
 しかも、無用な小田原評定を繰り返し、その決定を先延ばしにしたのである。


  • 共立荻野病院             院長 荻野鐵人
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