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2014年2月8日

露寇(ろこう)事件始末(4-15) 荻野鐵人

 自分の江戸参府の願いのため漂民を手元に置き続けたことが、今回の惨事を生んだのだと反省した。
 レザノフは漂民の即時引渡しを申し出る。
 しかし、長崎奉行側は、江戸表へ言上の要ありとして、引渡しを断った。
 十二月二十七日、長崎奉行宛の書状では、
「願ひの筋の餌」の恐れありとして、自国の漂民への配慮など微塵もない非情さで、
「漂流人の儀、願ひの趣き、相済まざる故を以て、若(も)し漂流人を渡し候儀、致し難き旨にも候はば、請取らるに及ばず、召連れ帰り候とも、勝手次第の旨、申し聞せ」。
 若宮丸漂民の日本側への引渡しは、ロシア船の長崎撤去が決まる時点まで、見送られてしまった。
 幕府の通商挺絶を伝える教諭書を携えた目付遠山景(かげ)晋(くに)("遠山の金さん"の父)が文化二年(1805年)二月三十日(陽暦三月三十日)に到着した。
 アレクサンドルー世の時代ロシア帝国は、ヨーロッパ世界の一方の旗頭(はたがしら)ともなり、一大飛躍の時を向かえている。
 ニコライ・レザノフもまた、この激動の時代に相応しいロシアが生んだまぎれもない英傑の一人であった。
 日本側の全面的な拒絶に直面しても、なおたじろかぬレザノブの風貌に日本側は驚いている。
「レザノブは莞(かん)然(ぜん)として、事を事とせず、無人の地を渉る如きふるまひなりけり。容止(ようし)は衿飾(きょうしょく)なきものにて、賜りたる綿も其席にて手もて撫で見たり。願(ねがい)の達せざりし上は怒るべきやとも人々思ひけるが、遂に色にもあらはさず、しきりにありがたし、ありがたし、とばかりいひけり」
 三月十日、若宮丸漂民四人の日本側への引渡しが行われた。
 長崎入帆時より、実に百八十三日目である。
 レザノフは、
「とてもこの世にては、出逢ふ事あるべき様なしとて、自ら足にて地を蹈(ふ)み付け、必ず地下にて逢ふべしとて、落涙したりけり」
 文化二年三月十九日(陽暦四月十八日)、ナデジダ号は百艘の引き船に曳航され長崎を出帆し、永い異邦での滞在生活に別れを告げた。
 日本側は、元の航路を逆戻りしてカムチャッカへ帰帆することを望み、津軽海峡の危険さを力説したが、クルウゼンシュテルンは少しも同意することはなかった。
 ナデジダ号は、以後、五島灘を抜け、対馬海峡を越え、サハリン(樺太)へ向けて航路を北上するのである。


  • 共立荻野病院             院長 荻野鐵人
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