2014年1月3日
「高貴高齢者」 坪田英煕
5年前の1月に、大学のテニス部の仲間数人でメルボルンに住む同期の一人を訪ねた。この時期同地で開催される全豪オープンテニスの観戦が主な目的だった。
巨大なロッド・レーバー・センターコートの大観客席から見るシード選手たちもさることながら、伊達公子が倍半分とも見える巨体のエストニアの選手と1回戦を戦って惜しくも競り負けた平コートのコートサイドの方がゲームの迫力が感じられた。
そのあと、海岸の景勝地を巡り、樹上のコアラを見上げ、ペンギンの行列を見、ワインとステーキを堪能した。
卒業後50年近く経ち、仲間は既にみんな「前期高齢者」になっていた。
まだテニスもやり、ゴルフも楽しい運動部のOBとしては、
「俺達はまだ若い。それを高齢者呼ばわりするのは怪しからん。仕分けする必要があるなら“元気高齢者”とでも言ってくれ」
とワインを飲みながら口々に不平を言った。
5年経って次々75歳に到達しているが、仲間の元気は殆ど変わらない。それを今度は、「後期高齢者」だという。そんなものかと漠然と思ってはいたが、その身になって見ると何かおかしいという感じがする。
「お前たちは人後に落ちている」、「今頃元気を出してももう遅い。後れているんだ」、「“後期”の次はもうあとがないのよ」
と言わんばかりではないか。
「前期高齢者」がやがて「後期高齢者」になる。その高齢者は更に加齢し、やがて大きな階層を形成するようになるだろう。いずれはそのグループを「終末期高齢者」とでも呼ぶつもりだろうか。
「高齢者」は、現役世代には想像もつかない未知の年齢領域に踏み込み、様々な病気や障害と闘いながら人生の最先端を歩んでいるのだ。
あらゆる社会活動、職業経歴、生活体験の先達であり、現代の日本という優れた国家の形成に貢献した高齢者。社会は高齢者に対する敬意を失ってはならない。
敬意は言葉に顕われる。前期高齢者は「初級高齢者」、後期高齢者は「高級高齢者」、今後新しい集団を定義するなら、「最上級高齢者」とでも呼ぶといいと思う。尊敬を表すなら「高貴高齢者」と定義しても差し支えない。
そういえば、年末のNHKの追悼番組で天野祐吉が出てきて、「年寄りに対する敬意が足らん、“長寿者”とでも呼べ」と怒っていたな。
元旦に屠蘇の杯を重ね、酔余昼寝の脳裏に残ったこと。
平成26年1月1日 坪田英煕