2014年2月18日
露寇(ろこう)事件始末(5-4) 荻野鐵人
クルウゼンシュテルンは、付近一帯の調査を、できるだけ能率的に行った。
その結果、以下のことを知った。
生物として目立ったのは、鯨が多いことである。「他においてここ以上に鯨の多い地を見出すことはできまい。日本人は、まだこの地において捕鯨事業に着手していないようであった」と言う。
さらに、オランダ人が鱒湾とか鮭湾とかと名づけたように、その種類の魚がおびただしく回游していた。
沿岸には、牡蠣とか蟹とかいった食用生物が多かった。この種のものを食べているだけで、その辺りに群がる海獣や野獣を捕獲せずとも日本人はやってゆけるのだろうとクルウゼンシュテルンは思った。
森林資源も豊富である。
「湾の両側の森林地には優良な松の木が多く、それらは我らがすでに陸地の日本式建物において十分確かめたように、よき建築用材になっている」
「材木は、造船にも利用しうる。現に日本の扁平な荷舟は、この地において造られている」
ただ良港が発見しにくい。
「もしここで多少安全な港が発見されるならば、活動的なヨーロッパ国民が開拓に着手する上で、実に適している。ここにヨーロッパ人が交易基地を置くならば、日本人、朝鮮人、それにシナ人と取引をする上でじつに都合がよい」
クルウゼンシュテルンは、この湾の沿岸において、ヨーロッパ式の商港を構想するのである。
「そういう商港ができれば日本人、朝鮮人、シナ人は、進んでこの地にやってきて、かれらの商品とヨーロッパの商品とを交換するに違いない。またかれらは、この地の生産物――魚類や毛皮類など――とも交換するであろう」
樺太の亜庭湾に浮かびつつクルウゼンシュテルンがその『紀行』のなかで展開する商業的戦略のなかで、
「ヨーロッパのどこかの国がこの樺太の開拓に着手すると丁度いい」
という意味のことを書いているのは、この『紀行』が、脱稿すればすぐヨーロッパの諸国の言葉に翻訳され、諸国の外政家や知識人、航海家、探検家さらには新興の階級である資本家などに読まれることをあきらかに意識している。
――どこか、樺太を自分のものになさるお国はありませんか。
という呼びかけともとれる。同時に、西欧が取らなければロシアが取りますぞ、という風にもとれる。
「若し十六口(十六門)の砲を備るコッテルス(カッター:小艇のこと)二艘に兵卒六十を載せ、風に乗じて之を打しめば日本大船許多(ばかりた)に一万の兵を備たりとも、一旦にして打崩すべきなり」
アニワ湾を去ったナデジダ号は、カラフトの東海岸沿いにオホーツク海を北上するが、流氷にはばまれて海域調査を断念し、六月四日夕方六時、長崎を出港して四十八日目に、カムチャッカのペトロパヴロフスクに帰帆した。