2014年3月1日
露寇(ろこう)事件始末(5-14) 荻野鐵人
ユノナ号とアヴォス号の活躍は、なおも続いた。
かれらの劫掠は、小気味いいばかりに成功をかさねた。かれらは南樺太をも、再度襲った。さらには、すでにのべたように二隻の日本商船を停船させて積荷を奪い、また一隻の 官船(万春丸)からは、武器をうばった。
官船万春丸は、宗谷方面の守備隊に武器食糧を輸送すべく、利尻島に碇泊していた。乗員の者は入港してきたユノナ号をみて、みな逃げた。
ユノナ号が奪った積荷のなかに、五百五十目玉の大筒が一挺と小銃二挺、火薬十五貫、鉛二十貫、米三百五十俵、酒二十樽があった。
フヴォストフ大尉は、日本人捕虜十人のうち八人までを利尻島に上陸させて釈放した。残した者は五郎次、左兵衛の両人で、かれらを通訳として役立たせるつもりであった。
フヴォストフ大尉は、釈放した捕虜に日本政府に対する文書を持たせた。
「なぜ我等はこのようなことをするか」
という理由の説明である。
文書の表はロシア文とフランス文、裏は日本文で、たどたどしい片仮名で書かれていた。あてさきは、
「松前御奉行さま」
である。さし出し人は、単に「ヲロシヤ」であった。
内容は、日本政府が長崎においてロシア使節を礼なく追いかえしたことにふれ、そのことに当方は腹を立てている、と言い、
「夫故、此度、此元の手並見せ申候」
といっている。さらに、
「きかない時には、北の地、取かけ可申候」
と、おどし、かつ、
「又々、船々、沢山に遣し、此のごとくに致し可申候」
もっと大きな海上兵力をさしむけるぞ、という。しかしながら、当方の通商要求をきき入れてくれた場合は、
「末代、こころやすく致したく心掛に御座候」
と、物腰やさしくのべている。