2014年2月27日
スピードラーニング 坪田英煕
1980年代の終りにリオ・デ・ジャネイロに転勤した。
会社の通例では、着任後2・3か月は会社を離れて語学研修することになっていた。でも前任者は、語学研修より自分が苦労して築いたブラジルでの人脈の引継ぎが大事だ、研修はリオでやれといい、3週間しか時間をくれない。
仕事を離れてゆっくり勉強できるという甘い期待は吹っ飛んだ。
その頃のブラジルでは、英語があまり使われず、会議も書類も電話も全てポルトガル語。秘書も英語はしゃべらない。
これは大変。住まいに語学校の教師に来て貰い、午後は自習することにした。
ラテン語系のポルトガル語は文法が英語より規則的だと聞いていた。
でも、動詞の直接法だけでも現在から複合過去未来などというものまで8種類もある。命令法、接続法、不定法、現在分詞、複合現在分詞、過去分詞もあるのだ。
1週間が過ぎた。言葉は頭に殆ど入っていない。これでは駄目だと、語学校に泊り込むことにした。
リオを見下ろす山の上の修道院の一角にある小さな学校。その2階に寝泊りする。
食事は修道院。修道士や研修会に集まった信者たちと一緒だ。食卓で話しかけられるが、殆ど理解できない。
2週間目の終り。ごく基本的な動詞の活用がまだ覚えられない。大事な名詞、形容詞、助詞、助動詞も山ほどある。
夜、自室から麓のリオの盛り場の明かりを見下ろして、疲れた頭でぼんやり考える。今頃会社の連中は、呑んだり食ったり歌ったり、楽しくやっているんだろうな。呑むはbeberだ。食べるはcomerか。歌うはcantarだったな。活用は・・・と反芻する。
でも、こんな具合じゃ会社に戻っても秘書に指図もできないなと思う。
会議の席で言葉に詰まって憫笑を買う場面を想像し、駐在員不適格と見られることすら考える。
3週目は、午前3時間、午後3時間教師と向かいあうことにした。
動詞の活用を繰り返し、語彙を少しでも増やそうと頑張る。
大学受験でも、こんなに集中したことはなかった。
頭が痺れる、真っ白になるという感覚も知った。
一方で、度忘れが少なくなり、思い出そうと努めると、割合短い時間で記憶が戻ることに気がついた。頭脳の活性が蘇ったのか。
大した成果もないままに3週間が過ぎて、山を降りることになった。
前任者が帰国し、仕事が始まってからは、予想通り言葉では四苦八苦したが、時折はポルトガル語が上手だと言われて少しは進歩したかと思った。
3年目に入ると、そういうお褒めを頂くことが次第になくなって、それまで如何に幼稚な言葉を振りまいていたのかを知ることになる。
後に、東京では「あいつは語学研修に絶望して修道院に入ったらしい」という話が流布したと聞いた。
疲れた反面その期間に覚えた言葉は、今でもかなり頭に残っている。
あれは確かに厳しい3週間だった。
聴くだけで英語をしゃべれるようになった石川 遼君がうらやましい。
2月20日 坪 田 英 煕