2014年3月11日
露寇(ろこう)事件始末(5-21) 荻野鐵人
「さて先達て長崎表に於て、此の国にては先年より定めある事にて、猥りに他国へ通信はなし難く、且つ交易の道なるに、我国に於て其の国と易ふべきものなしと御返答有りし由にて、使節を空しく御返し有りしと聞へ候、今更唐太、択捉を乱妨されしとて、夫が怖しさ何事無く御免あらん本意なく、外国へ対して御聞宣しからず、又我国内の諸人の思はん処も脇甲斐なき様にて、上の御威光薄きに似たれば、為し難き事となるなり。
然れば、軍兵をも差向け御一戦あらんより外はあるべからず、さればとて、今の世の武家の情態を見るに、二百年近く豊かなる結構至極の御代に成長し、五代も六代も戦といふ事は露程も知らず。武道は衰へ次第に衰へ、何ぞ事あらん時、御用に立つべき第一の御旗本、後家人等も、十に七八は其の状婦人の如く、其の志の卑劣なる事は商賈の如くにして、士風廉恥の道は絶へたる様なり…。
又大名とても同じ事にて、代々太平の化に染み、次第々々に奢りに長じ、世間の付合ひ外見のみを宗として、二百年近く江戸表へ参勤し、知行の米を売り払い、金にして江戸へ持出し、一年限り遣へ捨てたる事故、近年は手詰になり、身上甚だ行兼、領分に役金を当て、家中に借米し、家中の者に相稼ぎ人数も得ざれば夫の持たせず。…
(したがって)一先ず交易を許したきものなり…。但し、其の交易の論の事、経日の後に、根強き夷狭(いてき)の情、足るを知らざる習ひなれば、又年経る内には色々望み生じ、如何様の難題を申出ずべきも計られず、其の時こそ手切れの一策、合戦に及ぶの奇計良策有るべし、夫迄には十年も十四五年も間あるべし、但し此の節、時の故なきに気撓ませず、何卒此の間に土民を養ひ軍兵を調連し、是までの風俗を打改め候様御世話之あり、万端整へたきものなり、其の時オロシヤより攻来るとも彼を防ぐ事足りて、一戦し玉ふとも、御勝利を得玉ふべきなり、此の度は衰弱の時勢を察し、世を救ひ玉ふが第一の御趣意にて、まげて交易を御免成され候は御恥辱の様なれ共、其の時之を必ず雪ぎ玉ふべし」