2014年3月10日
もう来ないでね 坪田英煕
会社の出張や駐在員で訪ねたでさまざまな土地の中には、仕事を離れてもう一度ゆっくり訪ねたいと思うところがあった。プラハはそういう街だった。
退職して時間ができたので、妻と二人でブダペストから列車でウイーンを経由してプラハに行くことにした。
ブダペストで3日を過ごし、朝混雑する駅で特急列車にスーツケースを運び揚げ、席を探そうと車内を見回していた発車間際、物陰にいた男が私のショールダーバッグをひったくり、飛び降りて逃げた。目の前で自動ドアが閉まり、列車は動き出す。注意はしていたが、乗り込んで安堵した隙をつかれたのだ。パスポート、財布、航空券などをあっという間に失った。
やって来た車掌が「あなたはラッキーだ」と変なことをいう。どうしてだろう。
「この列車は国際特急列車だが、ハンガリーの国内でもう一駅停車する。貴方はそこで降りてブダペストに引き返し手続きをすることができる。そうでなければ、オーストリアへの不法入国になるよ」というのだ。
ブダペストに戻って日本領事館に電話した。もう夕刻になっていたが応対した書記官が親切な人だった。まず領事館に来て貰わなければならないが、困ったことがあったら夜中でもいいから電話しなさいと携帯電話の番号まで教えてくれた。
翌朝、領事館で旅券に代わる渡航書という身分証明を作って貰い、事件の証明を得て旅券なしで出国するために警察、入国管理局を回る長い一日が始まった。
警察の婦人警察官も親切だった。盗難証明書を作った後、携帯電話の番号をメモし、困ったことがあったら遠慮なく連絡しなさいと渡してくれた。
街の反対側にある入国管理局にたどり着いたときにはもう夕刻だった。労働許可書の申請にきた韓国人の後ろに並んでいるうちに閉庁時刻になってしまった。
ようやく自分の番が来て事情を説明すると、女性の担当官がそれは窓口が違うという。今日はもう駄目かと諦めかけたら、「ちょっと待ちなさい」と庁舎の中へ招き入れ、建物の反対側にある担当部門に連れて行ってくれた。
そこには不法入国で捕まった汚れた身なりの男達がいたが、彼女は彼らを尻目に、閉まっていた担当官の部屋をノックして中に入り、私の件を処理するように頼んでくれた。
担当官は、貯まっていた書類を指して「ちょっと時間がかかるよ。でもやっておくから外のマクドナルドで何か食べてきなさい」と、道順を教えてくれた。
庁舎に戻って出国に必要な書面を受け取ったのはもう8時を過ぎていた。
担当官は言った。「折角我が国に来てくれたのに、不愉快な思いをさせたのは申し訳なかった。近頃東の方から悪い連中が流れてくるのだ。ハンガリー人は客人にこんな振舞いはしない。これに懲りずに是非また来て欲しい」。
それからニヤリと笑って,「でもね、うちにはもう来ないでね」。
旅は頓挫し、損害も半端じゃなかったが、後味は悪くない事件だった。
医師や看護師、病院のスタッフの皆さんが、高度で困難な治療の結果ようやく治癒して退院する患者を見送るときには、同じように思うのだろうか。
旅は駄目になったがとにかくこれで家に帰れるとホテルでぐったりしていると、フロントデスクから電話があり、貴方に会いたい人が来ていると言う。
ロビーに行くと、中年の女性がいた。言葉はわからないが英語のメモを書いた紙片を見せる。
「私の母が公園の木の下に捨てられてあったバッグを見つけた。ホテルの勘定書があったので持ち主が分かった。役に立つかと思って届ける」。
見ると現金やクレジットカード、カメラなど金目のものはないが、パスポート、キャンセルした航空券などは残っていた。
お礼を言い、妻の財布に残った僅かな紙幣を差し出しながら、一瞬これも一味かと思ったが、氏名、住所、それに何かあればと電話番号まで書いたメモの主とその母親がそんな悪者である筈はない。帰国して後、事件の直後不安と猜疑心に駆られた自分を恥じながらお礼の手紙を書いた。
3月28日 坪 田 英 熙