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2014年3月12日

露寇(ろこう)事件始末(6-1) 荻野鐵人

8 斜里に於ける津軽藩戌兵の悲劇

 昭和二十九年秋のこと、北海道史研究の大家である高倉新一郎北大教授は東大赤門前の古本屋を訪れた。この店の主人は幕末から明治にかけての本や雑誌を非常に熱心にこまめに蒐集していた。なつかしいその主人の姿はなかったが、息子らしい人物が、
「親父から聞いておりました」
と、言って一冊の古本を奥から出してきてくれた。粗末な和表紙をつけた三十枚程の和綴の本で古本屋がつけたと思われる題簽には、
「斎藤勝利文化四年松前詰合被仰付一条写」とあり、表紙をめくると、
「此壱冊は他見無用松前詰合一条斎藤勝利所持」、
 次の一枚には、
「此壱冊は他見無用永く子孫江と伝松前詰合日記全斎藤勝利所持」とあり、次の本文は、
「松前御固被仰付候一条」
という書き出しで、文化四年五月廿四日、ロシア船が捉択島に乱暴を働いたという報に、かねてその方面の警備に当っていた藩軍の応援を命ぜられて急遽出立したことから筆を起し、宗谷に駈けつけると間もなく斜里の警備を命ぜられ、翌年帰国するまでの顛末を細かに書いたものであった。
 これはまさに驚くべき記録であり、しばらくはこの本にそって詳述する。

 箱館奉行羽太正養が択捉島事件の報告を手にしたのは五月十八日であったが、即日津軽藩その他に出兵を命じた。その命令書が弘前に届いたのは、文化四年(1807年)五月二十二日(陽暦六月二十八日)で、五月二十六日には、津軽藩の第一陣、一番手大将御馬廻(おうままわり)組頭(主将の馬に付添い護衛にあたる騎馬の武士の長)竹内源太夫が出立した。


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