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2014年3月21日

露寇(ろこう)事件始末(6-8) 荻野鐵人

 斜里詰公儀御役人は最上徳内・金井泉蔵殿の両人で、その会所は、寛政二年(1790年)斜里場所の開設によって開かれたところで、平地より一段と小高い所にあり、萱ぶきで四間に九間半(三十八坪)のもの一棟、ほかに板蔵二カ所、小屋二ヵ所、柴垣を両側にめぐらせ、東西に門柱だけ建ててあり、表の方に車井戸が一カ所あった。
 八月十一日、公儀御役入が出張検分の上、陣屋建設の敷地をお渡しになったので、材木や、木炭製造のための雑木を伐採させるべく郷夫たちを、およそ一里半から二里くらいのところまで差し向けた。
 出材すると筏に組み、海岸を引き回し、陸上げされたところで諸組の連中が出かけて行って運搬した。
 薪炭用の流木(山から伐り出して川に流しおろす木材)は蝦夷船を雇って積み入れ、陸上げしだい諸組の面々が担いで運搬した。
 材木は松前トドという木で、二葉松と同様で軟らかい木である。
 しかし生木であるから運搬には苦労した。
 陣屋の敷地は、西表口は四百問、東裏行き百五十間、南側三十間、それから先は湿地で山に続いていた。
 西北海岸は表通り、見通しは樺太島に当たっていた。
 南東の日の射す方は裏に当たり、陣屋の後百間くらいから湿地で、それから大笹や茨山(とげのある小木の生えている山。ハマナス原であろう)が続き、樹木が繁茂して日射を妨げ、日ざしが薄く、柏の木立となっていた。
 何といっても陰湿な土地であり、朝は明け方が遅く、日暮れは早く、いつもどんより曇っているように見えた。
 上長屋は三間に十二間(三十六坪)で、用材は松前で切り組みのうえ回送したものを使い、柾屋根(柾屋根をもって家屋構造上の基準とした)である。
 上長屋の雪囲いは、芦や笹を刈り取って出来上がった。雪空の下での労働にはいずれも難儀した。
 中長屋は幅三間に十間(三十坪)で柾屋根、丸太の柱で、斜里で切り組んだ。
 屋根柾だけは回送品を使った。
 土台石は、斜里から二里ぐらいのところの石浜から蝦夷船で回送した。
 下長屋は幅三間に十間(三十坪)で、斜里の山から出したトドという木の生木を用材とし、萱で屋根をふいた。
 ほかに、御武器・御運送品を入れて置くところ、一棟、二間半に五間(十二坪半)、さらに剣術稽古所一カ所を表門の脇に作り、十一月七日から訓練が始まった。
 三長屋の建設は着々と進み、連日一同が手伝いに出て、それぞれの手配を定め、八月十二日から十一月十五日までの間にすべて完了した。
 九月三日、宗谷詰公儀衆調役鈴木甚内殿が当地にお出になるというので、お達しにより先払い二人を差し出した。
 同五日お帰りのときは二人をトコロ(常呂)というところまで派遣し、お滞在中は陣屋前に見張番二人をつけた。


  • 共立荻野病院             院長 荻野鐵人
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