2014年3月23日
露寇(ろこう)事件始末(6-10) 荻野鐵人
十月七日、郷夫の大鰐村富蔵が病気になった。すぐには回復しそうにもないので、箱館まで下って養生したいと願い出たが、
「それほどの難病とも思えぬ。この土地で養生するように」
といわれた。
十月十五日(陽暦十一月十四日)から寒気がいよいよ厳しくなり、朝夕は特に冷え込んだ。
お国表の弘前とは格段の相違であった。
この様子では日ましに寒気・冷え方が強まるがどうしたらよいかと一同は動揺した。
毎日少しずつ雪が降り、東風が吹き荒れて、難儀した。
十月二十六日、松前表から御飛脚が参着した。
公儀から医学館製の加味平胃散というお薬を一人につき五袋ずつと、詰合御人数一同に御口達書と、御酒一升・御肴料三十七文、計百六十七文を一人ずつに下賜された。
一、山嵐不正の気を除く
一、脾胃を調ふ
一、水土を伏せずして泄瀉等あるによし
お薬包みの効能書にはこのように書かれていた。
このため上役のところへ参りお礼を申しあげた。
十一月十一日公儀御役人最上徳内殿から、武芸を検分したい旨のお達しがあったので、十三日に公儀会所へ出仕した。
十一月十四日(陽暦十二月十二日)から吹雪が強く、寒気もいよいよ厳しくなったので、外出を禁止した。
しかし、井戸がないので川水を使用していたが、川口は大荒れで浪高く、潮水が混入し、水汲みの者どもは非常に難儀したようだ。
また陣屋内で話合いをしても、浪音が高くて言葉も聞き取りかねた。
寒気は強く、弘前よりは綿入(わたいれ)をさらに二枚ぐらい重ねたいほどの寒さとなったので、一同は困惑した。
日に日に大海一面に氷が張りだした。
一同は海が凍るということは全く知らないので、会所の下役どもに聞いたところ、
「去年も今ごろはこうなった、これから益々寒くなるだろう」
と答えたので、一同は
「これまた難儀なことだ」
と口々に騒ぎたてた。
その通り、日ましに氷が張り、その上へ氷が押し上げられて大山のようになった。
皆は、ただただ驚き入るばかりであった。