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2014年3月25日

露寇(ろこう)事件始末(6-12) 荻野鐵人

 十二月十四日郷夫の者沖館村助次郎が病死した。
 十二月十七日、御持槍下藤善次郎、宗谷での病気療養の願いが聞届けられて出発したが、斜里から九里離れた網走で病死した。蝦夷家は三十軒あり、小廻船の停泊するところである。
 十二月十八日郷夫の鼻和村次左衛門、飯詰村次郎八病死。
 十二月二十三日、斜里詰合公儀金井泉蔵殿が病死されたとのお知らせがあった。
 十二月二十五日、諸手足軽佐々木孫二郎病死、同二十六日長柄の者中田惣十郎病死。
 十二月二十八日、松飾りの日となったが、雪中のこととて松・竹・ゆずり葉・海老の類はないので、松のかわりにトドの木に笹を飾りつけて、ともかくも大晦日の年越しをした。べつだん料理ごともなかった。
 文化五年(1808)辰の正月元日(陽暦一月二十八日)となり、めでたく挨拶の遣初めをして祝儀は整った。
 それから公儀御役人衆へ年始のお祝いとして、笹森寛蔵(二番隊勘定人、生存帰国者)、田中才八郎(一番隊勘定人加勢、生存帰国者)および医者石井隆仙(三番隊御医者、五月一日病気帰国)が参上した。
 その他の大筒役黒石三郎兵衛(二番隊大組与力大筒方、一月十三日病死)・鳴海八弥(二番隊大組与力大筒方、一月二十九日病死)・佐々木直八(二番隊大組与力大筒方、三月四日松前への帰途常呂で病死)・作事受払役工藤文作(三番隊作事受払役、二月四日病死)ら重だった者は病気のため同行できなかった。
 三御長屋諸組の者どもは、上御長屋へ平服で御祝いに参上、それからほかの御長屋にも挨拶に回った。
 正月元日御城附足軽花田源太郎、同二日神山弥三治、同三日御長柄三浦勝平、同四日御大工吉村次郎兵衛・郷夫大曲紋三郎の計五人が病死した。正月四日、松飾りを引き納め、これでお祝儀は済んだ。
 一月六日鳶の巻八、同七日郷夫の高杉村寅右衛門、同八日同田舎館村定次郎・同三千石村善七、同九日御持槍葛西善弥・郷夫広田村万太郎・同長峯村次郎八、同十日御持槍三上熊次郎、同十二日御持槍土岐専司、同十三日大筒方大組与力黒石三郎兵衛、同十六日郷夫尾上村長助、同十七日鳶の乙右衛門・郷夫中泉村五兵衛、同十九日郷夫木作村三助、同二十日郷夫石野村久三郎、同二十三日掃除小人館岡村喜六・郷夫藤枝村酉之助、同二十五日同悪戸村佐兵衛・町大工忠助、同二十八日大組警固野呂周作・同足軽三上幸助、同二十九日大筒役鳴海八弥、この八弥は鳴海又右衛門の二男である。以上合計二十二人が正月四日から二十九日までに病死したので、残りの病人たちも気力を失い、ことに物の不自由なことは申すにおよばず、哀れをきわめた。


  • 共立荻野病院             院長 荻野鐵人
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