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2014年3月27日

露寇(ろこう)事件始末(6-14) 荻野鐵人

 二月七日、諸手足軽石沢六之丈、同十五日町大工清蔵、同十六日郷夫宮館村藤七・藤崎村又助、同十八日郷夫神山村佐五右衛門、同十九日同豊岡村善右衛門、同二十一日諸手足軽藤田茂八、同二十四日郷夫和徳村清太郎、同二十五日御持筒足軽高橋兵司、同二十六日郷夫舞戸村長太、同二十八日同廻関村甚八の合計十一人が病死した。
 三月二日、郷夫高杉村弥兵衛が宗谷へ引越し養生したいとの願いが聞き届けられて出発したが、途中網走というところで病死したと云って来た。
 三月四日、郷夫藤崎村幸吉、大筒役佐々木直八は松前へ帰って養生したいとの願が聞き届けられて出発したが、途中常呂という所で病死した旨の知らせがあった。
 三月六日、諸手足軽小田桐源次、同日掃除小人織三郎・鳶の又八・郷夫真土村安右衛門・同中野村巳之助の計八人が病死した。
 ただし、中野村の巳之助は、宗谷へ引越し養生したいとの願が聞き届けられて出発したのであるが、途中紋別という所で病死したとの知らせがあった。
 三月十五日、三御長屋御人数残らず病気となり、病死の者も多く出たので、何となく物淋しくなり、さらに食事の世話をする者、水汲みの者もなくなり、枕を並べて寝伏しているという、見るからに哀れな光景となった。
 仕方がないので、男夷一人を雇い、飯炊き、水汲み、薪作りなどに使ったが、蝦夷言葉が分からぬのでたいへん困った。もっとも、病人ばかりのことで特別の用事も頼むこともなく、湯水・食事の世話だけであり、五、六日もしたらだいぶ馴れ、言葉使いも自然と分かるようになった。しかし物によっては間違いも多く、時に大笑いするようなことがあった。この蝦夷の名は弁慶といい、二十一、二歳の若者である。だいぶたつと蝦夷言葉も分かり、蝦夷通詞のようになった。
 四月二日(陽暦四月二十七日)になって大海の氷が解けはじめたので、やがて船も通うようになるだろうと喜びあった。
 それにしても、生魚は去年の九月に食べてから現在まで口にしていない。これで七カ月間いっさい食べないばかりか、その姿すら見たことがないことになる


  • 共立荻野病院             院長 荻野鐵人
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