2014年4月2日
叔母 聖子の俳句 桐村俊一郎
私共には、93歳の叔母(母の妹)があり、北海道に一人住んで居ります。
戦後も大分経って英連邦経済学者の伊東敬と結婚し,夫の退職を機に伊達市の東郊に移り住みました。有珠山を望む丘の家に大噴火の翌日に引越したので、庭も畑も火山灰に厚く覆われていたそうです。二十年ほど前に夫が亡くなった後も住み続けましたが雪かきなどの重労働はできなくなり、十年ほど前に街の借家に移り、さらに一昨年賄い付きのマンションに移りました。
この叔母が80歳近くなって俳句を詠み始めました。室蘭の句会などで精進し、やがて頭角をを現します。平成21年6月発行の合同句集「巻雲」30句より;
「蝌蚪生れて大地これより事多し」 「京菓子の色の中より弥生かな」
「住み捨てし家たちまちに陽炎へる」 「牛の声祝詞にまじる山開き」
「おでん煮てまた煮返して一人かな」 「長き夜のとぎれとぎれの眠りかな」
札幌本部の「北の雲」誌にも毎月7句送り、また新作30句で平成21年度正賞に選ばれました。「北の雲」は飯田蛇笏を祖とする全道的結社のようです。
「水ぬるむ定時定刻なきくらし」 「蝉の声鎮めて山雨駆け抜けり」
「したためる二通トマトの冷ゆるまで」「山中のどの木も暮れて盆の月」
「命ある限り影ある日向ぼこ」 「山々のたはむれ落す雪まくり」
平成21年11月1日の「北の雲」に載った伊東聖子の6句の冒頭の一句;
「秋めくや木にも水にもありしこゑ」
を見た私は、偶々電話をくれた叔母に句意を尋ねました。「だって、わかるでしょ」と言い、終には「ア、この句は俊チャンに向かないんだ」とご機嫌を損ねました。それで思い出しました。
同期の俳人小島麦人君から句集を贈られた秀才のS君はわからない句が気になって仕方がない。説明を請う手紙を出しても返事がない。数ヵ月後に会ったので「どうして教えてくれないのか」問うと「俳句なんてわかる奴がわかればいいんだよ」と言われた。言葉のイメージに読み手が共鳴するのが俳句ですから。
「立秋の頃ふと気づく。青葉が風に騒ぎ鳥が囀っていた木々も、水に生れた命の饗宴も消えた寂しさ」と解して作者に許してもらえたのは一年の後でした。
私は去年6月と12月に各5日ほど伊達に行きました。6月はヘルニアの手術に立会い、12月は冬籠り前の見舞いです。
手術は無事に終り、よく食べよく眠る叔母は健康です。でも2年前転んで入院した頃から難聴が進み、同じ質問を繰り返すようになりました。12月には私と弟を混同していました。対話のない独り居が老化を進めるようですが、東京の老人ホームに呼び寄せる姉の計画は挫折しました。
俳句仲間や長年の友人との絆があり、何より俳句が叔母の命なのです。電話で「今忙しいの」と聞けば作句は続けているなと一安心します。
最後に叔母自選の近作を幾つか。よい句がもっとあったのですが叔母も私も忘れてしまいました。前掲の作品と比べて落ちているでしょうか。
「振り仰ぐ我が九十の初御空」 「渾身の力つくして冬木の芽」
「山眠る峡に眠らぬ宿明り」 「友は皆やさしく老いぬ春の風」
兵庫県川西市 桐村俊一郎
3/31/2014