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2014年5月5日

露寇(ろこう)事件始末(6-42) 荻野鐵人

 農学者の鈴木梅太郎は、1910年(明治43年)「白米の食品としての価値並に動物の脚気様疾病に関する研究」を報告した。ニワトリとハトを白米で飼育すると脚気様の症状がでて死ぬこと、糠と麦と玄米には脚気を予防して快復させる成分があること、白米はいろいろな成分が欠乏していることを認め、米ぬかから脚気に有効な成分を取り出し、オリザニンと名付けた。オリザニンは、イネの学名オリザ・サチバに由来するが、抗脚気因子にとどまらず、ヒトと動物の生存に不可欠な未知の栄養素であることを強調し、ビタミンの概念をはっきり提示した。
 Eijkmanは19世紀終わりから20世紀にかけて、脚気は白米食が原因であるとし、脚気予防には、米ぬかの水溶性成分が有効であることをつきとめていた。高木兼寛が海軍の食事改善を果たしてより、約20年たった頃である。
 また1911年にFunkは米糠およびビール酵母から鳥類白米病予防因子を注出したことをロンドンで発表し、1912年に窒素を含むこの有効物質を一種のアミンであると考え、「生命維持に必要なアミン」という意味でVitamineと命名した。すなわちビタミンの命名者としての功績が評価されている。ただし彼の得たものも純物質でなかった。
 ビタミン(vitamine、いまはvitamin)のビタは活力という意味のバイタル(vital )であり、ミンはアミン(amine)という言葉の合成語である。アミンは、化学構造上の用語で、脚気に有効な成分はアミンを含む水溶性物質であると、Funkは言いたかった。
 1950年(昭和25年)京都大学衛生学の藤原元典は、ニンニクとビタミンB1が反応すると「ニンニクB1」という特殊な物質ができると報告した。さらに藤原は、1952年(昭和27年)「ニンニクB1」はニンニクの成分アリシンがB1(チアミン)に作用してできる新物質であること(よって「アリチアミン」と命名)。そのアリチアミンは、体内でB1にもどり、さらに腸管からの吸収がきわめてよく、血中B1濃度の上昇が顕著で長時間つづく、という従来のビタミンB1にはない特性があることを報告した。
 日本では1910年に鈴木梅太郎が米糠のアルコール抽出成分がハトやシロネズミの発育に必要であり、ニワトリの多発性神経炎の治療にも有効であることを口頭で発表したことをもって彼を発見者としているが、学会抄録などにそのような記録はない。一方1884年に高木兼寛は軍艦乗組員の食事を洋食に近いものに変えて脚気患者を著しく減少させ1906年にLancetなどに発表した。提督高木の名は現在も汎世界的にビタミン発見史に登場するが鈴木梅太郎はない。
 国民の脚気死亡者は、1950年(昭和25年)3,968人、1955年(昭和30年)1,126人、1960年(昭和35年)350人、1965年(昭和40年)92人と減少したのである。


  • 共立荻野病院             院長 荻野鐵人
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