2014年5月13日
入山映くんのこと 中村良夫
共立荻野病院のコラム《パアゴラ》に畏友・入山映くんが生前に綴ったブログの一部が転載されたのを、彼の竹馬の友としてうれしく拝見した。
キャリアーの前半には大国鉄の中枢にあって、その組織と四つに組み、縦横に凄腕をふるってみせた入山くんは、その反面、官僚組織におさまりきれない自由な想念のなかを飛び回ってもいた。それは彼自身にもどうにもならぬ天性であったろう。国家に奉職しながら、国家を相対化するまなざしを放つなかで、ときにいささか脱線しながらも、嬉々として友人と酒をたのしみ、オペラに熱狂し、そして女神を敬慕したおとこだった。
私的なことはともかく、大学で法学をまなんだエリートであった入山くんは、国家の官吏として辣腕をふるったのち、中年にして民間の財団へ移った。そこで、希代の社交家でもあった彼は、水をえた魚のように世界をおよぎまわり、八面六臂の活躍をした。官僚的世界におさまらぬ半身がおおきくはばたきはじめたのだ。彼の慧眼には、国境をこえた地球市民の姿が映っていたであろう。
フィランソロピーの活動のなかで接した市民の顔つきと機械のような国家とのはざまで七転八倒しながら、彼は市民とは何かを問いつめたであろう。民間財団のちからがおおきい米国社会にたいして 、日本の財団のおかれた姑息な政治環境に彼は不信を感じたに違いないが、そもそも日本における市民性とは何なのか。西欧世界においては、中世の自治都市から続くデモクラシーの生い立ちからみて、国民国家の機構と市民社会の絆とは兄弟のようなものだが、我が国においてははたしてどうなのか。市民とは長いものにまかれる存在なのか。向こう気のつよい入山くんはそのような風潮にかみついた。
市民社会とは何か、というとんでもない難問をわれわれにほうりだして、入山くんは逝ってしまった。
西欧社会とはひと味違う日本の市民社会の可能性について、もっと真剣な議論を交わしておくべきだった。くやまれてならないが、いまとなっては、亡くなる2ヶ月まえ、病身をおして上梓した渾身の著作「市民社会が危ない」(幻冬舎ルネッサンス)にその志しの一端を読むしかない。
豪快にして粘り強いあの脂ぎった知性が、幽明の境をこえてあっさり飛び去ってまもなく3回忌をむかえるが、そのあとにポッカリあいた空白をいまだに得心がいかない。裏おもてなくつきあった悪友とはこういうものであろうか。