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2014年5月14日

akira's view 入山映ブログ CSR

CSR(Corporate Social Responsibility企業の社会的責任)が花盛りである。企業は金儲けだけしていれば良いというものではない。応分の利益を社会に還元すべきだ。いや利益の部分的社会還元などという生温いものではない。持続可能な社会発展のために企業たるもの貢献して当然である。そもそも社会公共の利益と両立する限りにおいて企業は操業を認められているに過ぎないのだから、CSR費用は当然のコストと考えるべきだ。などなど、留まるところを知らない。それはそれで結構な話だろう。CSR部門が雇用を創出したり、アカデミアを初めこれで生業をたてる人も出現する。まさにバズワードであり、CSRならでは夜も日も、という観なしとしない。

どんな議論に就いても言えるのだが、懸念の声とか反対論、あるいは「ちょっと待てよ」「本当かな」みたいな声が全く聞こえないで、それ行けどんどん一辺倒というのは、いささか不健康だ。CSRに対する反対の声は存在しない訳ではない。いまではCSR信奉者から化石扱いされているノーベル経済学賞受賞者ミルトン・フリードマンは経営者がCSRなどにうつつを抜かすのは分をわきまえない所行であるのみならず、株主に対する背信行為であると言い切っている。最近では、デイビッド・ヘンダーソンの”Misguided Virtue”(誤り導かれた美徳、とでも訳すのかな)がその一つで、これはフリードマンほどの経済学者ではないこともあって、さして名著とも傑作とも思われないが、とりあえずいくつかの論点は抑えている。これを翻訳して「CSRは資本主義を滅ぼす」という刺激的なタイトルを付け、いくつかの出版社に持ち込んでみたが、全て断られてしまった。時流に乗っていないのでしょうね。

彼の言い分の細部を紹介するつもりはないが、幾つかの論点はかなり納得できるもののように思われる。
先ずその一つは、CSRには企業の反社会的行為を制限し、規制する、という機能がある。これが過度の官僚統制に化ける可能性は常に存在する。つまり、反社会的というハードルが定義によって自由自在に変化する恐れがある、ということだ。のみならず、過度の様式化、ルール化(トリプル・ボトムラインはその一例)によって繁文縟礼の官僚主義に堕する虞れについてはいま少し敏感であってよい。道徳的正義感が官僚主義と野合する怖さである。歯止めが必要になるということだ。
さらに、途上国労働者の労働条件改善という善意の下で、最低賃金制、労働基準の厳格化などを通じて結果的に当該国の雇用を減少させ、あるいは経済衰退を招く可能性がある。のみならずそうした事態が発生した実例も多い。CSRの一環としてダウンストリームの労働条件に目を光らすのは結構だが、望ましからざる結果に対する対策抜きに行うのでは片手落ちどころか、結果はかえって悲惨になる。

CSRのコア・コンセプトの一つに、ブルントラント以来おなじみの「持続可能な」開発という考えがある。子孫の可能性を奪ってはいけないのなら石油は一滴も使えないだろうし、何よりもこの曖昧な概念を、「どれ位の生活レベルで」「どれほどの数の人が」「どれ位の期間」という三要素を規定しないで使うのは知的怠慢であるか、あるいは知的自殺行為に過ぎない、と喝破したこれまたノーベル賞受賞者ノーマン・ボローグ博士の言葉などが思い出される。

正反合ではないが、異なってある意見の存在は議論を、そして社会を豊かにする。モラルの旗を振りかざして反論を許さない議論のあり方が存在するとすれば、住みにくい世しか作らない。日本がそんな経験をしたのはそんな昔の事ではない。

2007年 12月 26日



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