2014年6月1日
akira's view 入山映ブログ TICAD(2)
長尾真文広島大学教授の定年退官記念講演を聴く機会があった。「日本はアフリカで何ができるか」というタイトルで、長尾氏自身が南アフリカ共和国の初等・中等教育現場で携わった援助案件の経験を中心に、日本のできること、アフリカの自主性を生かすというのはどういうことかを中心とした、実に良い講演だった。
先に(1月26日・TICAD)述べた、アフリカ援助はハード面のインフラだけやっていれば良い。それこそが日本らしさだ、という意見に変わりはない。しかし、長尾氏ご自身の言われる通り、教育・保健衛生・社会福祉といった経験提供型のODAについても、日本あるいはアジアが貢献しうる場面は数多いのも事実だ。にもかかわらずこの面でのODAに全く期待をしないのは、非常に硬直的なお役所のフレームワークのせいである。もっと具体的に言うと、ソフト面に対するODAの実施については、お役所・お役人によるのではなく、NGO、あるいは長尾氏のような大学関係者など民間人(私大はともかく、長尾氏のような独立行政法人を「民間」呼ばわりしてよいかどうか、疑念はある。しかし、私大にも文科省官僚以上の石頭もいれば、独法にも長尾グループのような人もいる。要は所属組織よりは個人属性だと言うことで、不正確さはお許し頂きたい。)を中心とした柔軟な主体の関与が必須だ。しかし、それを提供しうる大学人、ましてプロのNGOの数は余りに少ないし、他方それに対応できるフレームワークを外務省は持っていない。
今回長尾氏のプロジェクトが極めて印象的だったのは、実行体制におけるしっかりとした理念と、それを可能ならしめた枠組みである。具体的に言うと、南アフリカにおいて、援助の受けっぱなしではなく、現地側も応分の負担をすること、また現地の高等教育機関が日本の広島大学と徳島教育大学のカウンターパートとして参加すること、さらに、その関係を足掛け七年の間継続したことである。JICAのプロジェクトだったらしいが、あの杓子定規なODAフレームワークがよくここまで柔軟な対応ができたものだ、と感心する。おそらくは長尾氏を始めとする実施者の超人的なネバリと説得。そしてJICA担当者に人を得たことの相乗効果であろうと思うが、こんなプロジェクトが可能ならばソフト供給も大いに望みがあろうというものだ。
しかしODAの基本的設計変更がない限り、こんな奇跡をたびたび期待する訳には行かない。それまでは土建屋に徹する方が税金の無駄遣いが少なくて済む、という持論には残念ながらあまり変わりようがない。たとえどんなに素晴らしい長尾教授の講演を聴いた後でも、である。
2008年 02月 12日