2014年6月6日
akira's view 入山映ブログ めきき
伊勢神宮の外宮だけを参拝して、内宮を見ることなく、それでも有り難がって帰った人がいる。だから「先達」はいてほしいものだ、と兼好法師は言った。当世風に言えばガイドだが、ことは地理や観光だけの話ではない。ものの価値が解らないと、見ないで帰るどころではなく、棄てても壊しても平気である。価値を判定する「めきき」が存在しないままに「改革」が進行すると見るも無惨な事になる、ということだ。東京では伝統ある都立高校制度が、妙な教育長の信念で崩壊して久しく、前非を悔いて昔日に戻そうにも、思うに委せない。京都の由緒ある町並みに、金属とガラスの建物でも調和を乱すことはなはだしいのに、けばけばしいラブホテルまで建って久しい。どちらも壊すのは瞬時にして出来るが、回復には(出来ると仮定しても)永い永い時間を要するということだろう。
悩ましいのは、こうした理不尽な変革・現状破壊に対する異議申し立てと、求められている改革、しなければならない変革に抵抗して現状維持による既得権益を追求する声とをどう識別するか、という点だ。もちろん特効薬があろう筈もないし、秘策の存在する訳もない。などと最初から底が割れてしまってはいけないのだが、結論から先に言うと、問題は「めきき」と民主主義との関係だ、ということになる。だれに「めきき」をさせるかというのを多数決で決めよう。ただし、多数決の前に井上達夫の言う「熟議」を経て、かつその過程を公開しよう、という話だ。しかしワイマール体制に取って代わったナチスの例に見るように、それとても危ういものがある。それを制度的・構造的に安全保障しよう、というのが「市民社会」という考え方だ。
数多くの異なった意見を持つ人々がより集うグループの存在を奨励し、その相互作用と識見の蓄積にこそ民主主義の未来はかかっている。そう考えるのが「市民社会」という枠組みだ。だから、NGO・NPOの存在と同様に、公益法人、学校法人、社会福祉法人などなどの存在が極めて重要になる。官庁のタテ割りのせいで、こうした統一した目線のもとに観察されることのない「民間・非営利団体」だが、実はわれわれの将来はこうした組織の活性化にかかっているのだ。その潜在的な力を知る故か、公益法人制度改悪をはじめ、こうした組織に対する締め付けは厳しさを増している。南鳥島のアホウドリにならないためには、危険を察知して大騒ぎしなくてはならない。
2008年 02月 23日