2014年6月23日
akira's view 入山映ブログ 外郭団体(2)
今回の公益法人制度改革が、実は必ずしも改革の名に値せず、官庁の外郭団体のようなものをフリーパスで認める反面、民のイニシアティブに対して「目引き袖引き」で注文を付ける結果になりそうなことは前に(2.7「公益法人制度改革」)触れた。官僚の再就職保証のために、何の意味もない仕事を(税金を使って)しているふりをしたり、談合のとりしきり役になったり、外郭団体の手口は様々だが、そういう法人は今回の制度改正に当たって、新しい公益法人として認めない、つまり法人の事業に公益性を認めない、ということが出来るか、というとこれが出来ないのです。
ひとつには、お役所の仕事と密接に関係ある仕事は「公益」とみなす、という規定が法律の中にあること。その結果、純粋に民間で仕事をしている団体にとってはかなりハードルの高い公益の認定を、あっさり受けられる仕掛けになっていること。第二に、そして実はこちらの方が大事なのだが、外郭団体の罪状というのは、制度の問題というよりは活動の中味の問題だ、というところにあるからだ。暴力団が企業舎弟を作ったからといってそれは会社法のせいではない。全く何の役にも立たない外郭団体が存在しても、それは公益法人制度のせいではない、
ではどうすればそういう寄生虫のような存在を排除できるか。クサイ臭いは元から絶たなくてはならない。そんな無駄遣いができないように、各省庁予算における冗費、濫用を厳しく監視することしかない。ともすると、予算の総額規制というのは、こういうどうでもよいところが温存されて、切ってはならないところに鉈を振るう傾向なしとしない。野党はじめ、NGOなどの活動が期待されるところだ。
もうひとつ民間公益団体の潜在的な外郭団体化、という危険性にも触れておいた方が良いだろう。それは、やっている仕事の中味より、仕事をする手続き、書類の方が大事になる、という危険性だ。これはこのブログで何回も触れた予算制度的なバカバカしさを民間組織に導入しようとする試みで、これまた今回の公益法人制度改正によって、繁文縟礼として採用されることになりそうな大問題である。書類は完璧、内部規定は非の打ち所なし、しかしやっている仕事は何の意味もない、というのでは品行方正なヤブ医者と選ぶところはない。
官僚主義、予算制度といった過失を犯さないためには可能性の芽をいくら摘んでも良い、というシステムは創意工夫を生かすしなやかな対応には全く向かない。ある仕事をしようとする時、決められたことを決められた通り行うのが美徳とされるのか、出来上がりに向けてさまざまな工夫を試みる事が求められているのか、それを見極めないと、美徳が愚行に陥る。「めきき」が必要だ。
2008年 04月 05日