2014年6月26日
akira's view 入山映ブログ サブプライム
日本人の感覚ではどうにも理解できないことの一つがサブプライム・ローン騒動だ。そもそも、年収を超えるような返済額を、不動産値上がりを見込んで貸し付ける。その不自然さは、そんなバカな、と思うけれど、わが国にだってバブル崩壊時の住宅ローンの焦げ付きや、サラ金やカードローン破産の例もあることだ、と強いて理解できないではない。
ローン債権そのものが証券化して流通するあたりからついてゆけなくなるのではないか。要するにローンの借り手と貸し手の一対一の関係が消滅して、抽象的な債権債務になる。ひらたくいうと、あなたは今誰から借りていて、誰に対して支払い義務があるのか解らなくなる、という仕組みだ。それがデリバティブというものだ、とか、金融商品の高度化というものだ、と言われても、にわかには腑に落ちない。
腑に落ちようが落ちるまいが、現にそういう証券市場が成立しているわけだが、ここで問いたくなるのは、グローバリゼーションといい、金融自由化という、そういう「世界の趨勢」だとわれわれが信じ込まされたものの帰結がこういうことにならざるを得ないかどうか、という点だ。サブプライムについてのわれわれ聞かされているお伽噺にも、疑ってみればいささか妙なところがある。
世銀の推定によればサブプライム関連の負債、あるいは回収不能債権はおよそ97兆円だという。字義通り解釈すれば、全米1千万所帯が1千万円借りまくったという話になっている。それは良いとしよう。しかし、巨額だとはいいながら、世界の外為取引一日分にも足りない額だ。いわゆる「狼狽売り」がなければどうということはない。つまり、サブプライムは引き金であって、それ自体が世界金融を揺るがすほどの話である筈がない、ということになりはしないか。目くらましにあって、基本にある国際金融の過剰信用とその暴走という真の理由を見失えば、次なる赤いニシンはいつでも出現するように思う。
2008年 04月 13日