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2014年7月3日

人間と自然-2-2 荻野彰久・荻野鐵人

老人は(看護婦や受持医が未だそこに居るのも忘れ)天井を仰ぎ顔にうす笑いを浮べながら、(私の一生は、うまく操(あやつ)られた人形劇だった訳か――)と声を出し「ウフフ」と笑った。
「操ってなんか居ませんよ! こっちはちゃんと矢内原教授の指示に従って治療しているのだ!」と受持医は憤然と老人を振り返った。
〈何が出来る! この青二才が! 博士論文作成のために患者を操(あやつ)っている〉と受持医は受取ったのである。老人は別に言訳もしない。もっとも受持医の云っている言葉が老人の耳には届かなかったかも知れぬ。が、怒って受持医は病室から出て行ってしまった。
老人は一人歯ぎしりするのだった。寿命、偶然、運命、自然、それらから一つの「神」の概念を抽象した彼は〈神の暴力!〉と歯ぎしりするのだった。人間の運転台に坐ってしまった神! 神に操られている人形劇! と彼は思う。
〈だが僕は違う!〉内心彼は叫ぶ。〈そうはさせないぞ!〉彼の決意は固い。そうした「神」に反逆しようとする彼の情熱は彼を駈った。〈妻を!〉彼は妻の躰を見た。胸を波立たせながら妻は苦しい息を続けている。親指と人差指を伸した右手を、彼は妻の首へ運んだ。ぐっと押えた。妻の手がきて老人の手を払った。が、老人は更に強く首を押えつけた。妻の顔がふくれ上った。力を失った妻の眼球がみるみる蛙のそれのように飛び出す。妻は腹に足を近づけながらもがく。妻の首を押えた彼は手を離さない。左手で妻の足を防ぎとめて、右手でぐんと押えた。そのときだった。ノックもなく扉が開いた。老人は振り返って、妻の首から手を離した。受持医と看護婦が這入(はい)って来た。
「唇の色が悪くなりましたね――」受持医は立ったまま病人の顔色を見ていう。黙っていた老人は、そこのタバコを引き寄せながら、「はア、もう弱って来ましたかナ」と犯行を頬被(ほおかぶ)りしていう。が、タバコをつかむ老人の手の震(ふる)えは誰が見ても「平静」ではない。
「これじゃいけません。脈が悪いからぼくが付いて居ましょう」と、受持医は、すべてを知ってしまっているように云って、看護婦だけ帰し病人のそばに坐った。
体動によってエネルギーを放出させようとするかのように老人は二、三度尻を動かして坐り直り、タバコを口にくわえてマッチを擦った。が、老人は妻を殺すことを未だ断念してはいない。長い人生を生きて来た彼は、いずれは出て行くであろうと受持医のことを、あせりもしなければ急ぎもしない。が、なりゆきに任(まか)せたくはない。
血圧を測り終ると「100の80です」と受持医はひとりごとのようにいい、病人の脈を握ったまま坐り込んでいる。
興奮からさめない老人は二本目のタバコに、火を付けた。受持医は出て行こうとしない。
若いが熱心なこの医者は、ブスブス注射を続けそれが済むと、又脈を握って診る。受持医はどっかり腰を落ちつけて坐った。
老人の殺人は失敗したらしい。
老人はずるそうに甲の腫れた妻の足を握って、又ゆっくりさすりはじめた。――受持医を安心させようとするかのように。老人は想念のさっきの扉に手をかける。――歴史のなかの人間、自然のなかの人間を考えはじめた。どう考えて見ても私たちの一生は運命に翻弄(ほんろう)されたのだ。巨大な自然の意志の前に私たちは操つられ、弄(もてあそ)ばれたのだ。楽しかったことも悲しかったことも! いやそれに違いない〉と彼は妻と生活した幅の狭い細長い時間のなかを覗(のぞ)く………〈――恋だ、愛だと、男と女が結びつく水源から自然界に操られた人形だったのだ。そのカラクリ!〉と彼は一瞬復讐に燃えた眼を輝かせながら晩秋に行われた自分たちの結婚の、遠い夜を見つめる。



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