2014年7月9日
人間と自然-5-1 荻野彰久・荻野鐵人
受持医は未だ起き上る気配がない。老人の追憶(ついおく)はとりとめもなく続く――それから妻を連れて日本に帰って来たのは、失業者が世界的に集落をつくって氾濫(はんらん)していた1930年で、その余波(よは)を受けて深刻な不況に苦しんでいた日本は、人間が人間を仆(たお)したり殺したりしていた。彼は帰国後最初に見たのは東京駅のプラットホームで、二十五歳くらいの青年が殆んど折敷(おりしき)の構えで、人間を撃っていた。このとき撃たれたのは、あとで知ったが、総理大臣浜口雄幸だった――突然両眼をつむり、真青な顔でその場に立ち止り、両手で固く腹を抑えながら、その場にすくもうとするのを、側近の人々がたすけて駅長室へ運んでいた。
「イギリスのように霧はないけど、日本はいつもこんなこと起りますの?」と妻は彼から離れようとせず顫(ふる)えていた。
「いま、不景気だから、人間の精神が異常になったのだよ――他人を殺せば自分が生活出来ると思ったのだろ!」
或る私立医大の椅子はドイツからロンドンに来る前から話がついていたので、そのことは問題ないのであったが、父がCarolとの結婚は認めないと、手の平を返すようにいい出した。
「そりゃ、僕はいったさ、でも僕はおまえの旅心、出来心と思ったさ!日本に正式の妻がちゃんとある人間が外国の――おまえ、正気の沙汰(さた)と思えるか!」
父は激しくいうと、じっと睨(にら)みつけ、
「おまえは一体聖人君子のつもりなのか! 令子は、ありのままを正直におまえに告白したのだぞ! しかも妻となって来たその日に言ったというじゃないか!」父は言うのだった。