2014年7月10日
akira's view 入山映ブログ 農業政策
農水省が小麦の高騰を受けて、コメの粉で代用すべく大急ぎで補助金を出す立法を進めるという。場当たり的な農業政策でこれほど日本の農業が惨状を呈しているのに、全く反省の色もなくご本人たちは気の利いたつもりの税金の無駄遣いがまたひとつ。そもそも、かくあるべきだ、とお役人が考えることがその通り起こることはまずない。農水省がお進めになった、需要が「ある筈」のレジャー施設や、もうかる「筈の」林産振興の資金集め。減反で安定する「筈の」コメの需給。農業生産に携わるよりは空き地にしておいた方が収入になる、という仕掛けを作ることによって元気が出る「筈の」日本の農業セクター。
フィリピンではコメの配給に行列ができている。中国もインドも食料輸出国から輸入国になった。そんな国際情勢の中で供給過剰のコメの有効活用で思いつくのが、市場が受け入れるかどうか解らないコメの粉による小麦粉の代替だというのは、単なる発想の貧困のみならず、ふたたび小麦粉に代替できる「筈だ」という例の論理に他ならない。どこの業界の陳情を受けてのことかは知らないが、消費者側の論理を全く無視した愚策としか言いようがない。経験に学ぶのがホモサピエンスの特徴(実は猿にも出来る)だとすれば、農水省にはホモサピエンスがいないのだろうか。
食料自給率に言及するまでもなく、農は国の元だ。農業人口の激減は工業化の趨勢の中でやむを得ないにしても、国際相場の上下に一喜一憂して思いつきで税金を浪費するのではなく、もっと基本的に農業が、農家が元気の出る政策がなぜ出てこないのか。お役人の農業大規模化の号令に踊らされて、農協からの借金で機械化し、首が回らなくなって夜逃げするしかない農家がどれほど多いか。猫の目のように変わる作物の奨励金に振り回されて、疲弊しきった農家がどれほど多かったか。お役人が笛を吹いても踊るまい、というのが心ある農業経営者の共通認識になっていることをご存じないのだろうか。
こんなことをしていたら、農水省が最も忌み嫌う農業の株式会社化を自ら促進するようなものだ。国際協定による農業自由化の波を、いやだいやだの一点張りで回避できると本当に考えているのだろうか。国の基幹である農業セクターを市場原理にさらすことが無条件に良いとは思わない。しかし保護者である筈の役所がこの体たらくではお先真っ暗だ。何をどれほど、なぜ保護するのか。それを除いては全て市場に委ねる。それほどの思い切りを胸に秘めた上で作戦的に小出しにしているのならそれも良い。全くそうは見えない。のみならずそうだったらこんな愚劣な政策を打ち出す筈はない。
2008年 05月 01日