2014年7月15日
akira's view 入山映ブログ ねじれ(5)
今回も政治ネタ。評価はもう一回お休み。
前にも書いた(4.29「ねじれ」(4))ように、参議院野党優位、衆議院与党優位の構図は当分の間変わりそうもない。今でこそ与党は2/3で再可決できるが、今度の選挙の後ではとでも望み薄だろう。となれば、次の衆議院選挙と、参議院選挙の間になんとかしなくてはなるまい。その「なんとか」の選択肢の中には政党間の離合集散もありうるだろう。与野党それぞれに党を割った人々が一緒になるのも可能性としては否定できまい。政治の世界は何でもありだ。
ところが6日夜のテレビ朝日報道ステーションのあの古館さんは、このアイディアにことのほかご立腹で、割れた一緒になったは、やるのなら選挙の前にしろ、選挙後にそれをやるのは選挙民を愚弄するものだ、という。その上で政策研究院大学の飯尾教授のアイディアとして、与野党共に現在ただいまマニフェストを公開し、選挙に勝った方の言い分を負けた方が聞き入れることを約束するのが良い考えだ、という。(テレビ報道だけだから、本当に飯尾教授のお考えかどうかは確かめた訳ではない。為念。)まさか本当にそんなことが起こるとは思わないが、直接民主制こそが至高の民主制で、間接民主主義は所詮まやかし、とはいわないまでも、代替物に過ぎない、といわんばかりの議論には全く同調できない。
党議拘束の強いわが国では、所属政党と個人の代議士を同一視する感覚が払拭できない。まあ、比例選出の代議士というのはそのおもむき濃厚だから一概に斥けることも出来ない議論だが、それを余り過大に主張する、というのは間接民主主義の良さを自ら封印するようなものだと思う。個々の代議士の政治行動が背信行為だと思うのなら、次の選挙で投票しなければよい話で、離合集散のオプションから排除するほどのことはないように思う。誤解のないように付言すると、これを選挙民を愚弄するものだ、と受け取る人にも一理あることは確かだが、その意見だけが正論だとは思わない。ついでにいえば、マニフェストであれなかれ、意見の違う立場相互間で、勝ちが総取りで負けた方は全面降伏、というのはいわゆる熟議に基づく民主主義の基本理念に反すると思う。
象徴的に争点を絞り込む、という意味で、郵政解散みたいなことも時にはあるかもしれないし、憲法改正のようにそもそもシングル・イッシューで争わねばならないこともあるだろう。しかし、踏み絵のような方法論は議会制民主主義において多用されるべきではないように思う。信任か不信任かを国民投票に持ち込む、というのはヒットラーが愛用した手口だ、というのは想起されても良い。
2008年 05月 07日