2014年7月15日
人間と自然-7-2 荻野彰久・荻野鐵人
妻は帰って、そのことをK君の両親に話したらしかった。翌日の夜、おそく両親が三越の包装紙の大きな荷物を持って入って来た。交渉して補欠入学が成功したものの如くしきりと礼をいう。彼は閉口していた。
が、待っても々々K君のところへは補欠入学の通知は来なかった。
新入生の宣誓式も済んだ夜であつた。
「Carolさん! Carolさん!」と玄関のガラスが毀(こわ)れんばかりに叩く。それが二階の彼の耳にはCarolが何か悪いことでもしたように響く。彼はペンを投げ、階段を降りていった。Kの姉妹が玄関の三和土(たたき)に立っている。二人とも眼に手を当て、彼の顔を見るとワッと泣き出す。
「どうした?」訊くと、押入の中で、カルモチンを呑んでK君が死んでいるというではないか!
妻は姉妹の手をとって上げようとしたが、彼女たちは、上らず泣きながら帰っていった……。
顔に白い布を被せたK少年の死骸を前に線香をあげながら彼は頂(うな)垂(だ)れた。〈如何に観察すべきか教えることが、如何に生きるべきかを教えることであり、如何に生きるべきかを教えることが教育だとすれば、これは本当じゃない! 何かが間違っている!〉彼は強く思った。〈命を粗末にする国は野蛮だ、日本は少なくともこれだけは低い、K少年の死を学校側が知ったら流石の学校側も愕(おどろ)くだろう。でも死んだ少年はもう還(かえ)らない!〉
私立学校を受けるように勧めたのは彼であった。勧めたからには橋渡しがついているものとK少年の親たちは思っている、だがその橋渡しをしていなかった。それが出来ない理由がある。研究費のことで学校側と対峙(たいじ)していた――小児麻痺を研究していた彼は、乳幼児の死躰が必要であった。大人の死躰はかなり新鮮な形のまま、処刑場から搬入されてくる。が、乳幼児の死躰になると死刑になる乳幼児がないのは当り前だが、病死躰の場合でも研究に供して欲しいと提供する親は居ないところから、極めて入手困難な情況にあった。それには多額の費用がいる。そこでそのことをN理事に相談したことがある。そんな費用のかかる研究は私立大学では無理だと断られたのは止むを得ないとしても、N理事の断り方が彼を愕かした。小児麻痺の研究はいまの日本では重要でない、というのであった。すべての学問がそうであるように医学においても、何の研究が急務で何の研究は急務でないなどということはあり得ない、どの科学も相関連して前進するのである。そこで私財を投入しながら研究を続けていた彼は内心N理事を軽蔑していた。
が、出して貰っていた父からそれが出なくなると、彼の小児麻痺の研究は暗礁に乗りあげられたままとなっていた。