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2014年7月16日

人間と自然-8-1 荻野彰久・荻野鐵人

一万円でもキフならば百万円でもキフである。当時は公定もなければ規準もなかった。お前の紹介した受験生はいくら出すのか、これならば入れてやるがこれではダメだ、と暗黒面をもっている経営者としては、教授である彼にそれがいえない。というのは、当時は裏門からはいるキフ金はすべて経営者側の裏ポケットにはいる。経営者側はそのキフ金が多いほどよい。五十万円の金をニギラせる親よりも五百万円ニギラせる親には義理がある。五十万円の方には、「お宅の子供さんのあの成績ではネ」と首を傾(かし)げて示せば足りる。彼は私立学校のこういう高級情報に暗かったばかりではなかった。N理事に頭を下げるのが、いやであった。N理事と事務長の私有財産になると噂されていたそれらのキフ金のゆくえについては、被傭用者が傭用者に会計検査を主張できる権利はない時代でもあった。この場合はどの教授もそのことについてギフンをもらし不快をこぼす。だが教授会に出ると、誰もがマムシに出会ったようにこちらから避けて歩く。彼もその一人であった。
K少年のことで、点ではダメだ直線でいかなくちゃ! と同僚からは云われてはいた。が試験が済んだあとK少年から聞いた話では、従来入った得点の中以上の得点をはるかにオーバーしている点らしかった。そこに彼の誤算があった。
百万円よりも十万円の方が爆発力が小さい。従って一銭もキフをしなかったK少年は爆死を免れない運命にあった。立派に入学圏内に入っていながら、すり替えられてK少年は落ちたのである。
人間のこの功利の感情がどこに由来するものであるかは別として、そういう金の問題をウヤムヤにしない西欧の社会を見て来た彼は、学校側から云ってくれるのを待たずに、自分からキフのことをいい出せば殺さずに済んだのだと白い煙となって空へ昇っていくK少年の姿に唇を噛んだ。「如何に生くべきか」は「如何に観るべきか」であり如何に観るべきかを習得させることが教育ではないのか。
〈こんなときこそは無茶苦茶を喋るぞ〉と出来るだけ自分を押えながら、翌々日開かれた教授会の扉を開けた。少し遅れて這入ったので、教授は殆んど全員がすでに椅子にかけていた――白いアゴ髭のN理事は東側の椅子に深々とかけ、右手の指で鼻ヒゲをいじっていた。重要議題はもう済んでいたのか、彼が席についたときには臨床の「特等入院室新築の件」が議題になっていた。が、それもほとんど一方通行的な会話だった――というよりも、少数の人によって既に決定されてしまっている議題をただ「教授会にかける」というジェスチャーに過ぎないとしか思えなかった。で、その特等入院室を十五つくるのにこれだけの費用が要り、そのためには――と後の話は何故か皆小声になっている。しばらく続きを聞いていると補欠入学でそれだけの費用を捻出せねばならないのだという。彼にもようやくそれだけの意味が通じて来るのだった。「では、一人いくらで、何人だったのですか?」と彼は出来るだけ穏やかに訊(たず)ねてみた(つもりだった)が、彼の感情はすでにうわずっていた。それは誰の眼にも興奮している彼を見出させるに充分であった。「そんなことはちょっと」と彼の顔を見たA氏がN理事の顔を見て口を歪(ゆが)めた。「じゃ、何点から補欠にしたのです?」と訊ねた。「何点からってあなた、頭から何十名か採ったあとはそれ」とA氏は言葉を濁す。経験のないことであったが、このたびは彼も試験委員になっていた。が、そんな話は彼の耳には今が初演であった。〈員数を揃(そろ)えるための自分ではなかったか!〉彼は膝頭がこまかく震えるのを感じた。持って生れた潔癖が穢(けが)されるような憤りを堪えていたけれども、彼の内部ではかすかな潮騒の響がしていた。



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