2014年7月22日
akira's view 入山映ブログ 国連
国連というと、国際社会における政府の役割を果たす機関で、その表明する意思は国際世論を代表し、その決定は無条件に国際社会における正統性を保証する、といったナイーブな感覚が日本では一般的なように思う。
国際的な軍事行動について、国連における機関承認(例えば総会、あるいは安保理決議)を受けているかどうか、という論点が、その正統性を巡って指摘されることが多い。それと日本のエモーショナルな国連中心主義が渾然一体をなして、国連は素晴らしい、国連の決定こそが唯一の国際行動基準だ、みたいなムードを盛り上げているように思う。
現存する常設の機関としては、たしかに国連は唯一の包括的な国際機関であり、だからこそ浪費と無駄が目立つ国連運営に対して、わが国は300億円近い経常費を負担し、国民もそれを認めているといってよかろう。要するに代替物がないからそれを余儀なくさせられている。だからチャーチルが民主主義について「最悪の政府形態。ただしこれまでに試みられた全てのものを除き。」といったシニカルな視点を喪わないことが重要になる。
なにも斜に構えるのが生産的な訳でもなんでもないが、国連讃歌とも言うべき一部の日本の論調を見ていると。アメリカから送られてきた履歴書の推薦者コメントに、「本人は国連に働いていたことがあるけれど(in spite of)なかなか優秀な人間である」とあったことなどをつい思い出してしまう。巨大な官僚機構であり、その意思決定の遅さや、最終需要者の意向に対する鈍感さは、日本の官僚がはだしで逃げ出すくらいのものがあることは意外に知られていない。
このブンガク的な国連讃歌に悪のりして、国連関係の政府支出が全く透明性を欠いているのは問題だと思う。国連本部や、正式な機構以外にも、聞いたこともないような「基金」の類いが無数にあり、そこに向けられているお財布も外務省に限らない。聞いたこともない基金だから怪しげだといっている訳でもなんでもない。国際農業研究グループ(CGIAR)に属している15機関なんていっても国際コメ研究所(IRRI)位しか日本では知っている人も少なかろうし、女性に対する暴力撤廃のための国連婦人開発基金信託基金なんていう組織に税金が二千数百万円使われている、というのもよほどの事情通でなければ知らないだろう。
職員の慰安旅行に税金が使われていた類いの話はなにも国内に限らない。外国の災害救援のために募金に応じたと思っていたら、政府幹部のベンツに化けていた、というのもありがちな話だし、国連がカネクイムシだというのは誰でも知っている。どんな国連「基金」にいくら出していて、それがどう使われているか、報告位はとっているのでしょうね。
追記:CGIARが国連機関であるかのごとき誤解を与えたようです。聞いたこともない組織の例として挙げたまでで、CGIARは国連機関ではありません。筆力の不足をお詫びします。
2008年 05月 15日