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2014年7月22日

人間と自然-9-2 荻野彰久・荻野鐵人

電車道へ来ていつまで待っても電車は来なかった。その日の自分の姿が動物に思われてならなかった。雨にぐっしょり毛を濡らしながら、犬が歩いていけば、自分の本能と犬のそれとを、比べている自分を見出すのであった。僕も〈誰かを喰い殺して生きていかねばならぬ〉と思った。彼に噛み殺されようと現れたのは先ず父であった。
電車が来て彼は乗りこんだ。電車は片足をあげる余地もないほど混んでいた。つり皮にぶら下がっている彼の頭のなかには、アフリカ原始林が展開され、あちこちの密林のなかからキバをむいた猛獣が姿を露らわしてきた。ライオンの群、トラの群、ヒョウの群、蛇の群…………。猛獣や毒蛇の集団が肉をもとめ、キバをむいていた。それから草も虫も小鳥も他を殺し自己を生かそうとする姿が脳裡のなかをかけずりまわっていた。
〈そうなのだ、動物はそうなのだ〉歩きながらつぶやく。〈動物ばかりではないのだ。植物においても他の腐敗したものを栄養として根から吸収することによって自己を生存させ続けているのではないか〉自宅の黒い屋根を見ながら考えた。〈動物は最初からキバをむいて向って来る。だからこちらもそれと気づく。だが人間の場合はキバを隠(かく)して殺しに来る!〉と首を振りながら一人つぶやく。〈それどころか人間同志でも知性の低い未開人の行為には正直さがある。だが知性の高い人の行為は複雑怪奇で表に露わさないから防ぎようがない!〉「生きんがためだ生きんがためだ」と彼の知性はいいながら、相手を殺してしまうのだ。〈してみると!〉と彼の思惟は走っていく。〈して見ると、自然からさずけられたエゴイズムは人間の場合は現代文明の殿堂を築かせたのも事実であったが、そのエゴイズムはまた、人間を戦争にまで駆り立てたのも事実ではないか!〉
「馬鹿野郎!」電車の中にいた隣の男が、アッと思うほど彼の腹に拳骨(げんこつ)をくらわせた。彼は手で腹を圧えながら顔を上げて相手を見た。相手は労働者風の男で下駄をはいている。
「見ろい!」男は眼をつりあげていう。
自分の足もとを見ると他人の下駄バキの足を彼の靴底は踏んでいるのだった。彼は頭を軽く下げて別の吊り皮に手をやるのだった。
教授会から自宅に帰りつくと妻が泣きはらした眼で表に立っていた。
「どうしたのだ?」と彼はカバンを持ったまま離れたところで足を留めて訊ねると、Kの母が死んだと妻は頭を振っていう。
K少年の母は思いがけないところで死んでいた。K少年の葬儀が済んだ夜から捜していたが、三日目に吾妻橋の交番の巡査が走って来てくれた。袖に石を入れ思いあぐんだ果に隅田川に身を投げ込んだのだった。
三回や四回の入学試験に落ちたからといって何故自ら命を断つのか、受験生の心理は彼にはよく解らぬことであったが、一人息子が服毒自殺したからといって何故親までがその後を追って死なねばならぬのか!母親の気持は彼には不可解であった。
「また本能ですか?」妻は彼に背を見せていってベッドへ倒れる。Kやその母親に同情した妻は肩を振わせて泣いていた。
ひとりの男に騙されたように言葉も解らない日本に来たものの、彼の家人からは冷たい眼でみられた妻は、優しくして呉れるKの母親にひどく同情したのであろうと彼は考えていた。(ここにも自己保存本能が歴然と働いている!) と思った。妻の言葉を借りるまでもなく、そのころは「本能」に憑(つ)かれていた。



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