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2014年7月29日

人間と自然-11-3 荻野彰久・荻野鐵人

そうした或る雨の夜、いつもより早く外来患者も済んでY子が帰る頃に、脳膜炎らしい患者が全身ケイレンのまま母親に抱かれて入って来た。
ソフアーに、疲れた躰を横たえていた彼は、「ぼくが診るからもう帰って貰へ」とY子を帰すよう妻に云わせた。がY子が診て帰るからとのことであった。
その患者の処置が済んだのは十一時近かったであろう。
「アナタ、ミスY子を送ってあげないのですか!」とCarolが這入って来て彼の肩を叩く。彼は毛布を頭から被ってしまった。
「でも!」と妻は彼のオーバーを持って傍に来て立っている。
外の雨はいつか激しい雪に変っていた。
ウイスキーを続けて二、三杯あおると彼はしぶしぶY子を送りに自動車を出しに行った。
「ワタシがこんなとき運転が出来るといいのに。奥さまにわたしも教えていただこうかしら」彼女はこんなことを言う女ではなかったが、何故彼女が自分のうちに来るようになってからはしゃぐのか彼には見当がまるでつかなかった。近頃の彼女の性格の豹(ひょう)変(へん)ぶりには愕(おどろ)かされることが多い。重苦しい日本人は外人と一諸にいると変に浮(うわ)ついてくる、ソレかしらと思った。運転台に腰かけながらY子に云った。
「こんなものはいつでもならえる」
よく故障を起すボロ車で、急な往診のときには使わないほどの車だった。その夜もどうせかからないだろうと思いながらもかけてみた。幾度もくりかえしセルボタンを押しているうちにエンジンが掛かった。むしろ稀(まれ)なことだった。車を出して来ると妻が客席の扉を開けてY子の顔を見た。「どうぞ」と云う意味である。グレイのオーバーに同色の薄絹もので襟をしつかり包み、手術の時にかけるような大きなガーゼマスクをかけていたY子は急いでマスクをとると、外人同志がするように、妻の腰に手を廻して、別れの接吻をする。運転台からそれがむきだしに見える。Y子が近頃するこういうワザトラシイ格好に閉口なのである。
相手の国の風俗習慣に通暁(つうぎょう)して居て、自然に出て来る動作なら、それもいい、だが、充分に慣れても居らず身にもついていない外国の習慣をサルマネで眼の前でやられたのじゃ、閉口だと彼は思った。中国人は中国人、韓国人は韓国人、日本人は日本人の風習でいいではないか、どうせ相手はそのツモリなのだから。サルマネほど胸くそ悪くさせるものはない。言葉も云えないのに頬に接吻をしようと背伸びするY子に何かうっとうしさを感じ、妙にいらいらするのだった。客席に乗ったY子を不潔だとも思った。激しくクラクシヨンを鳴しながらアクセルを踏んだ。車輪がまわった。アッ!妻が倒れた。「待つて!」と、うしろのY子が叫ぶ。急いでブレーキをぐっと踏んだ。車が停った。扉が開かれたまま車が動いたのだった。見送ろうと立っていた妻を扉が横に攫(さら)ったのであった。
首を廻(まわ)してY子をふり返った。Y子は慌(あわ)てて車から降りる。ハイヒールで細(ほっそ)りした臀(しり)をゆさぶりながら、Y子は妻の方へ駈けていく。躰(からだ)をうごかすごとにオーバーのしたでひどくしなやかな線が走る。突然笑声が起った。Y子が笑っている。としの若さが包み切れずはちきれる笑(わらい)だった。続いて妻の笑い声もきこえてきた。外傷のないのは降り積った雪のお蔭だった。二人は抱き合って笑っている。彼は車から降りなかった。不快が未だ溶けていなかった。倒れて起きた妻に「大丈夫か?」と言葉もかけなかった。〈早く乗らんか!〉クラックションをやけに鳴らした。白いナメシ皮の手袋を重ねて右手に持ったY子がこちらへ歩いて来る。車の扉に左手をかけると、後ろを振り向き手袋を持った手を挙げて「Bye, bye」と声を上げる。



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