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2014年7月30日

akira's view 入山映ブログ チベット

 岐阜女子大学南アジア研究センターの主催する「チベット問題と五輪の行方」というセミナーで、同センター長のぺマ・ギャルポ氏の話を聞く機械があった。同氏はチベット生まれの政治学者。ダライ・ラマの信任厚く、亡命法王庁のスポークスマンを務める人であると聞く。従って、同氏が講演の冒頭に自ら述べたとおり、チベット問題、及び中国とチベットの関係について、同氏とは全く異なった意見が存在するのは事実である。ただ、筆者はこうした立場の人の見解をまとまって聞く機会は余りなかったので、その概略を紹介しておくことにする。一面的な観測を記載することの当否は読者の判断にお任せするが、なかなか興味深い話だった。

 同氏によれば、近代のチベット問題は1949年に中華人民共和国が成立し、毛沢東が「中華人民共和国(以下中国と略)は本来の領土を回復する」と宣言した時に始まる、という。(もっとも漢民族固有の領土というのは現在の中国のせいぜい3割で、「自治区」と称される漢民族以外の居住地の方が圧倒的に広いのだそうだ。ついでに中国を代表するあのパンダも、もとはチベットの動物で、後に述べるような中国の乱開発で住み場を喪ったパンダが今の生息地に移り住んだのだという。)その翌年に中国は4万人の軍隊を派遣して51年にはチベットを制圧する。いわゆるチベット解放であり、後に自治区が成立する。この時中国はチベットとの間に17条の条約を締結する。ギャルポ氏によれば、条約を締結したこと自体チベットを国家として認めたことの証左であり、それから59年までの間は断続的に中国中央とチベット政府の話し合いは続けられていたが、17条の約束はことごとく中国によって破られたという。

 その間、中国政府の手によってチベット古来の仏教寺院は跡形もなく破壊され、市民の殺戮はもとより、政治的・知的指導者の投獄、誘拐は数知れないという。挙句の果てにダライ・ラマは59年に亡命を余儀なくされた。その間に、国連の場にチベット問題を提起して公正な判断を求めるべく、心あるチベット人は中国の国連加盟を祈ったという。しかし、米ソ対立時代にあって、ネルーが大国介入を嫌ったこともあって、チベットの提訴は拒否権を持つ中国によってことごとく葬り去られたという。

 チベット解放なるものは、中国側の発表によれば百万人の農奴を解放し、識字率2%であった同国の文明化に貢献した、ということになるが、別の見方をすれば、その結果12万人のチベット人の地域に23万人の中国(漢)人が流入し、2年前に開通した鉄道によって、年間400万人の観光客が流入しているという。ダライ・ラマの主張も、チベットの独立を求めるというものではもはやなく、チベット語による教育、仏教信仰等の文化的自治権を求めるというものであり、それに対して、尊重するジェスチャーを口では唱えつつ、あらゆる約束は反古にされ、政治的・文化的隷従を余儀なくされているのが今日のチベットだという。

 お隣のミャンマーや北朝鮮に比べれば情報公開の度合いはかなり進んできているとは言うものの、民主主義というには遠い中国が、世界の大国として受け入れられるのを希望するのならば、強権による少数民族弾圧というイメージは払拭せねばなるまい。世論というものは操作可能であり、権威筋の発表のみが唯一の真実だとするメンタリティがいまだ中国にあるのだとすれば、それは世界に通用する論理ではないことを悟るべきだろう。

2008年 05月 30日



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