2014年8月1日
akira's view 入山映ブログ 公務員制度改革
日本行政学の大御所である辻清明が「経済官庁の老朽官吏が所管の銀行、会社の要職に「天下る」現象」を、官職私有の感覚として弾劾したのは昭和二十七(1952)年、今から半世紀以上も前の話だ。彼がこれと対をなす日本官僚制の問題点として指摘する「官尊民卑」と共に、この半世紀の間いかに脈々として日本官僚制は原型を維持し続けてきたかが解ろうというものである。その官僚制に風穴を明けようという公務員制度改革が、「ねじれ」以来久々の与野党合意のもとで衆議院で可決された。(先に「成立した」と書いたのは誤り。訂正します。)
これが何とも不可思議な与野党合意であって、まず野党の方からいうと本来この制度改革の目玉中の目玉であるべき「天下り」について、全くの尻抜けになったままで法案を通し、その言い分が「一歩前進だからよい」のだという。なんでもそういう基本的改革は民主党が政権を取ってからおやりになるのだそうだ。そんな物わかりの良さをこれまでに示していれば、国会空転なんぞというのは全くなかっただろうに、ほとんど理解不能だ。挙げ句の果てが、公務員制度をすんなり通した代わりに、後期高齢者で一戦争を構え、手あかのついた古証文「問責決議」をまたぞろ持ち出して凄んでみせる、というのだから、その感覚の悪さはほとんど自民党に匹敵すると言ってよい。
自民党の方は、例によって官僚に抱き込まれたとしか思われない「主流派」が、渡辺大臣を見殺しにして骨抜き改革に成功している。渡辺さんの涙はおそらく悔し涙だったのではないだろうか。時代の趨勢、時代の要求に背を向けて、自ら自殺の途を選んだ霞ヶ関の官僚諸氏には自業自得だ、と申し上げれば良いのだろうが、政権与党が見識もなく付和雷同したのは、当然とはいえ情けない思いだ。有能な官僚と機能的な公務員制度は国民にとってなくてはならないものだ。それがこれほど無惨な自滅の途を選ぶのを黙視するしかない、というのも悲しいものがある。世上に喧しい「政界再編」なるものが、この傾向に水を差してくれると良いのだが。
2008年 06月 02日