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2014年8月1日

人間と自然-11-6 荻野彰久・荻野鐵人

彼も今夜は妙にアルコールが飲みたかった。
「こりゃ君、待合じゃないか!こんなところに酒はないよ」石段を下りながらいう。
「あら!ここにも先生のお好きなコニャックがあってよ」と彼女は上の石段に立ち停ったままいう。
「だって君、こんなところは!」というと、
「いいじゃございませんの、少し飲んですぐ出て来たら!」彼女は肯(うなず)かない。
幸か不幸か、まだそういうところへあまり出入りした経験のない彼は、待合のようなバーのような、ホテルのような妙なところもあるものだと中に入って見て思った。
一盃二盃アルコールを摂り込むと不快や焦立たしさは変に焦点がぼやけて来て、危険な好奇心が顔をもたげた。
「あの乞食をあのまま轢(ひ)き殺してしまったら今頃わたしたちどうでしょう」窓の外側に積って来る雲を見ながら彼女は飲んでいる。いま思っても動悸がしそうだと彼もしきりにコニャックをあおった。かつて二人を固く縛った緊迫感はアルコールによって二人をまた弛緩状態に開放するのだった。
酔って来ると彼女は切長な大きいその目が瑞々(みずみず)しい潤(うるお)いをもち、口数がだんだん多くなり、冗談を飛ばし淫らなことを口に出すのだった。彼もまたそういう彼女にいつの間にか鼻孔を向け眼を細めながらグラスを重ねていた。
シャンペンにしてみたりビールにしてみたり、そうかと思うとウイスキーにしてみたりして、Y子の歯竝の美しさに魅せられながら彼は気づかず飲んでいた。彼の意識の下ではルーベンスの画のような獣が動き出していた。が彼はそれに気づかない。
グラスを彼女の胸まで押しつけて「もう一つだけ」とすすめる。抱かれるように凭(もた)れて彼女はそれを受ける。更に酔って来て「正義」や「判断」や「抑圧」の蓋がとろけてくると、「愛国心」と彼女はいいながら盃を空け頬照る顔を彼の胸におしつける。彼女の唇が転がしだす「愛国心」の音声は、追われた大学のN理事の言葉を思い出させるのだった。――『正義心とはしいたげられた人間の卑しい反抗だよ――』瞬間彼は唇を咬みながら彼女を抱く。がそれは、N理事に対する復讐のちかいなのか、それとも彼の内部に同居している人間と獣と闘っている相なのか。或は両方かも知れなかった。が、いくら力んでも所詮は悲しい人間、一本の麻酔注射によって眠らされてしまう手術前の患者のように「本能」を植えつけられた彼はY子を前にして女性を感じはじめた。
「愛国心!ねエ解るでしょう先生――」と彼女は、池のほとりの葦のようにしなやかな躰をなびかせ彼の首を抱いて頬に唇をあてる。
「君は利口な女だね。そうだ、愛国心なのだ」と彼女の唇の濡れているのを感じた。
「わたしは、ほんとうは先生が好きなのよ」と彼女は軽く触れ合った唇をハナしながらいう。「いや、ぼくは淋しいのだ」彼女を腕からほどき、又盃を口へはこんだ。
「わたしは、先生を外国の女にとられては口惜しいのよ。ね、お解りになるでしょう」と彼女はずるそうに舌をちょっと出し、首をすぼめたかと思うと突然「嘘!そんなことは!」と彼女は強く首を振って否定して見せた。
「愛国心!愛国心!愛国心とは何ぞや!」彼は強く彼女を抱いた手を離しながらいう。
二人だけが四畳半にいるのを彼らは充分に知っていた。そして外にはしっとりと雪が降っていることも……。
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