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2014年8月4日

人間と自然-11-7 荻野彰久・荻野鐵人

朝、彼女が眼を覚ました時、部屋全体が夕焼けのように紅くてどこもかしこも目映(まばゆ)い光に満ちていた。
学問上のことで彼を尊敬していた彼女は、彼が好きでもあった。そしてそれが恋心かも知れぬということも彼女はうっすら感じてはいた。が、二十六にもなって男の躯を識らなかった彼女は、否(いな)女医である彼女ですら、男が女を恋うることはどんな光景に彩(いろど)られるかは識らなかった。自分から「愛国心」といい出した気もするし、彼から「愛国心……」といい出したような気もするし。〈先生を外国の女に奪われて口惜しい〉といった夜のふくらんだ感情は朝になって冷却されると、すっかり収縮して一種奇妙な反省を呼びおこすのだった。――日本の女は異性のことになると義理も友情も踏み躪(にじ)るのかと「外国の女」キャロルに思われはしないか! 彼女は飛び起きた。シャツを着、服を着、オーバーに袖を通すと障子を開けて部屋を出た……。お茶はどうの御朝食はどうのという肥満した女将の顔も見ず勘定を彼が払っている間、彼女は急ぎ足で石段を先に立って降りていく。三段目のところに鉢植えが置かれてあったが雪を被(かぶ)って菊はすっかりしおれていた。
屋根に雪を被った自動車は何か怒気を含んだ怪物のようにふくらんで見えた。彼は扉を開けた。パラパラと屋根から雪が首に落ちる。
彼は手でそれを払って運転台に坐った。いつも坐る運転席がいやに冷たく、他人の坐席の感じを与えている。運転台の彼は躰をねじって、客席の扉をあけた。彼女はまぶしそうに黙って入って来た。〈子供と妻の座るところにY子の躰が座った〉と彼は感じた。が、この感情はY子を乗せて自家を出るときは意識しなかったものだった。車輪は廻り出した。ここら辺は、人はあまり出ていなかった。ギヤはトップに入った。彼と彼女は前と後で全く別な感情に捕われていた。――昨夜に比べ何と振幅の大きい感情の動きであろう。昨夜の恍惚や陶酔に対して今朝の沈みがちな心を、男と女はどうすることも出来ない。何故彼らは黙っているのか?罪悪感に似たものが頭のなかで放電する。



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