2014年8月9日
人間と自然-11-12 荻野彰久・荻野鐵人
幾つかの電車が通り過ぎていったかも気づかず犬に見とれていた彼は、遮断器の上っているのを幸に、あわてて踏切を渡るのであったが、彼女の家へ彼女を降すとき、彼は彼女の眼瞼が腫れているのを見た。阿呆面で彼が犬の光景を眺めている間、彼女は襟の影で泣いていたのである。
門口に車が停る音がすると妻の前に出て来たRaybitはヒモのついた青い毛糸の手袋をはめた小さい手に雪を握っている。妻は訊ねた。東京や千葉あたりの遠距離への往診のときは泊って来ることもあったので、患者を診て来たのかと訊ねたのである。
が、偉大なる自然は同性を相はじかせる本能つまり、嫉妬という感情を自己保存上といわぬまでも、「蒔種」のためにも、人間に押しつけない筈はない――その点、時とすると女は千里眼的感覚を発揮することがある――妻はもうすべてを感じてしまっているに違いないと思いながら食卓に向うと、
「ミス・Y子はどうしましたの?」と妻は彼の前に白い湯気のたつコーヒーを注ぎなから顔を向けずに訊ねた。
「うん、ミス・Y子は……」と顔を向けずにいいかけたが、嘘の次が直ぐ出て来なかったので、
「今朝はコーヒーでなくお茶にする」といってしまうのだった。
それから、プッツリ来なくなったY子のことを、妻は何と感じとったのか二度と再び訊ねなかった。
Y子とのことで無言の反抗を続ける妻は、間もなくRaybitへ逃亡した。――妻はフランス人の書いた「女の一生」を読みふけっていたり、愛のすべてを子供Raybitへ抛り込んでしまおうとしたりするのだった……。
「女は哀しいものなのね」といつか妻がBedの中で彼にいった言葉を、彼女はいまや、彼女自身の腹のなかだけで噛み殺しているらしかった。日曜日でなくとも妻は黙って教会へ出かけ、いないと思うと子供を連れて散歩に出かけてしまうのだった。出来ることならば彼とは口もききたくない風であった。