2014年8月14日
akira's view 入山映ブログ 評価(4)
新聞の連載小説じゃあるまいし、続くとは何だ。ブログをそんなに丹念に読む人がいるものか、という手厳しいご批判も頂いたけれど、めげずに「評価」を一段落させることにしました。
「評価」もどき、疑似「評価」が多くなってきている、ということはそれなりに「評価」の社会的機能が増加しているのだろう、と楽観的に考えている。ただ、もどきやエセの怖いところは前回も触れたように、免罪符や自己正当化に使われることで、これを防ぐのにはプロセスと結果の公開(はやりの言葉でいうと透明性の確保)しかない。
それと並んで悩ましいのは、民間非営利活動(NPOもその一つです)を含めて、こうした重要な仕事にオカネが集まらないこと。個人寄付に至っては総額で年間300億円前後で、赤い羽根とユニセフといったいくつかの大口を除くとほとんどゼロに等しい。寄付を募る側の努力不足も大きいのだが、駅の周りにうろうろしている怪しげな災害救援募金と同じで、一体その組織がどんな組織で、やっている仕事がしっかりしたものかどうか、寄付する側も眉唾のようなところある。だからたまたまお金持ちの篤志家が遺産やら蓄えを寄付するにしても、地方自治体や赤十字みたいな話になって、日本の民間非営利組織にはさっぱり回ってこない。
そのためにもしっかりした民間機関による「評価」が必要になるのだが、そんな訳の解らないものにはなおさらオカネが集まらない、みたいな鶏と卵ならぬ「負の連鎖(vicious cycle)」に陥っているのが現状だ。ぼやいていてもしかたがないから、志を同じくする人々とともに近く具体的な取り組みを始めようと考えているので、その節はヨロシク。前例尊重主義、予算主義でがんじがらめな日本の現状は、このあたりに穴をあけなくては始まらない、と思っている。
さて、神ならぬ身の、そんな客観的・公正な「評価」なんて一体出来るものなのか、だれがやるのか、という点を最後に一言。できます、人もいます、「評価学会」という学会さえある位に手法も確立しています、といっただけでは信じていただけないかもしれないが、もどきやエセに較べれば、まっとうな評価者の方が遥かに数は多い。ただ目下のところ発注者がオカミ系統が圧倒的に多いので、どうしても御用評価者のほうが幅を利かせている、という現状にはある。さていつも同じ結論で、伊達さんではないが「こっぱずかしい」のだが、民主主義というのは自分でやるしかない。そして時間がかかるのです。オシマイ。
2008年 06月 19日