2014年8月24日
人間と自然-13 荻野彰久・荻野鐵人
彼らが、残して来た長男健一のいる英国へ再び旅立ったのはそれから四ヶ月ほどした夏の頃であった。どうせこれからの一生は聴診器も持たないのだから子供のもとへ行って何かまた働きながら一緒に暮した方がいいと妻の主張が通っての旅だったが、異国の妻Carolは、親もなく話し合える友だちも持たず、それに信じていた夫に背(そむ)かれた傷心も手伝って淋しく悲しく、日本の風土が堪え難いものに感ぜられての帰国らしかった。が、彼にしてみれば大きな商家の彼女の母はそれほど無教育な人でもなかったけれど、異国の男に可愛い一人娘を奪われた恨みもあってか、日本には剣をさして歩く人がいるかだの、東京には猛獣はいないかだのと、黄色人種を蔑(さげす)むような無礼もさることながら、十月以後ともなると牛乳を流したような霧がたちこめ、先の見えない北の国英国は、地の果の如く想われて、西へ行っても東へ行ってもお国言葉一つ聴かれないロンドンでの生活が何故か寂しく、七、八人の友人知人に見送られながら、故国日本の風景を離れていく船の上で、山々をじっと見詰める彼の眼の奥には謂(い)われのない感傷の涙が浮かぶのであった…………。
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ああいやだった。ほんとうにいやだったとそれから一年も経たないうちに日本に帰って来てしまったことなどの、苦しい追憶から、老人は不図眼を明けたときには、受持医谷野が出て行ったのも気づかず、自分が妻の首をいつ締め殺したことも殆んど忘れている風であった……。
死人はCelt(ケルト)人特有の薄い唇を上下に幾分開き、深く引っ込んだ眼は静かに閉ざされ、鋭く聳(そび)えた鼻は顔全体を冷たく一層彫り深く見せていた。
生きていたときのように悶(もだ)え苦しんでいる様子もなく、ようやく眠ったように、未だ幾分温かいほっそりした妻の白い手を老人は自分の二つの手で握ったまま、頭を垂れ、眼を瞑(つむ)っている。灰色の天井から下っているツヤを消した灯は亡霊のように死者と生者を静かに照らしている。
老人は又ゆっくりと追憶の地下階段を降りていく――
「わたしは長生きしたくありませんよ」
いつかコーヒーを飲みながら何かの話の席に妻はいった。それは二番目のRaybitが三つになり、聴診器を持たなくなって間もないころ、彼が毎日毎日の時間を持て余しているころで、たまたまその日は妻だけがドイツの音楽映画を見たいと日比谷へ出かけて行った。母親の後を追ってRaybitが暴れ出したので、彼は物置から三輪車を取り出し、Raybitを抱き上げてその上にのせ、裏庭から表庭へ廻ったのち門のところから巫山戯(ふざけ)て道路に向って一気に押してやった。が彼は西から爆音を立てた大型トラックの疾走して来たのには気がつかなかった……………。
〈妻に何といえばいいのだ!〉彼は瞬時にして無惨な姿に変り果てた我が子を抱いたまま日比谷へ妻を迎えにやる勇気を喪(うしな)っていた……。
果せるかな戻って来た妻は子供の名を呼び続け、揺さ振り抱きしめ……髪を乱したまま表へ飛び出して行った……。