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2014年8月27日

人間と自然-14-3 荻野彰久・荻野鐵人

秋激しく咲いたコスモスは冬枯れに醜く束になって倒れていた。風はなかったが、一月の夜気は冷たく、それだけに月が澄んで見える。塀が毀(こわ)れたままになっていたので見(み)透(とお)しがきいてはるか遠くまで霞んで見渡せる。
「俺がこんな目にあっても父さんは何とも思わないのだろ!」健一はこんなにいう。
彼は聴えない振りをして歩調を変えず裏庭を歩いていた。
二番目の子供をあんな事故のため骨にしたので、彼ら夫婦は長男だけはと、手をあてるように育てたのだった。「親子というものは世界で一番の親友になるように教育しようね」
と常々妻に云っていたので、彼等三人には何の秘密もなかった。健一が大きくなってからでも、父子は手を握りあって散歩にも出かけ、飲みにも出かけるのだった。彼ら父子の間には一度だって荒々しい声のたったことはなかった。
今夜の健一は、若者らしい愛情を国家に捧げていただけに、ズキンズキンと傷の痛みが脈打つ如く、気持の置場がないらしかった。
健一は鏡台から母親の手鏡をとると、裸になった自分の前胸壁の傷の上を左手の指で跡をたどっていた。青白い顔の上には斜に細く繃帯(ほうたい)を通して血が噴いている。
腫れ上った自分の唇を、傍に坐った母親の唇とを比べていた健一は何か云った。彼は足を留めた。窓を明けて灯の点いている室内を覗いた、彼には聴えなかったが健一は自分に何かいったと思った。彼は眼をすえて部屋の中を見た。妻は彼の顔に気づくと何か詫びるようにし、急いで健一の口へ手をあてる。健一は激しく母親の手を払って叫んだ。
「俺の眼を誰が青くしたのだ!!」
荒々しく這入って行った彼は、ピシャリと健一の頬を撲った。
健一は母親の膝に倒れ、母親は健一の頭の上から、重って二人は泣き出した。
健一はそのまま出て行ってしまった……。
その夜、そのまま二人は、柱時計ばかり見上げては健一を待った。足音は聴えたが健一は帰らない。
「何も、親までが撲らなくても!」と妻は哭きながら彼を責め、ひと晩中、眠らなかった。

それから二月十一日、東京駅から健一を戦場へ送ることになり、汽笛が鳴って列車がいよいよ動き出そうとしたとき、
「父さん、御免よ」と健一は窓から顔を出して涙ぐむ……。
健一の列車はそのまま行ってしまった……。

これで自分と健一との間にも和解が成り立ったと、そう一人思い込んでいた。が、その後いくら待っても健一から手紙が来ないのはどうしたことであろう?
門の郵便受けから空しく戻って来る妻のやつれた姿が哀れに映ると、自分の責任のように健一の頬を打った手の平をじっといつまでも眺めることがあった。
が、或る日健一から手紙が来た。比島からであった。後にも先にもこれ一本だけだった。郵便受けの傍で開いて読んでいた妻は早く彼に手紙を見せようとしない。彼はじりじりしながら手を出して待っていた。
妻は自分だけ読むと、何故か後ろへ隠すようにする。つかつかと彼が寄って行くと妻は俯(うつむ)く、手紙は? と彼が手を出すと妻は眼にいっぱい涙を浮べて首をふる。彼は、後ろにまわした妻の手から手紙を奪うようにして読むのだった。
――元気だと前に書いてあって、終りの方に、「――『青い眼』『赤い髪』を回復させようと健一は、どんどん比島人を殺しています。これでぼくの眼も普通の日本人並に黒くなりつつあると思います」
こんなことが書いてある。彼の表情は急に翳(かげ)っていく。黙って手紙を妻に返し、ひとり書斎に這入っていった……。



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