2014年8月29日
人間と自然-15-2 荻野彰久・荻野鐵人
『――戦闘で敵兵を数多く殺したのは事実ですが、非戦闘員虐殺に参加したと絞首刑にされたのは全くの無実です。米軍が上陸して来て戦闘になったとき、戦闘地区附近の百名ばかりの住民がゲリラとなって出没したのです。ぼくの右腕もそのゲリラにやられたのですが、そのゲリラ討伐(比島側から云えば非戦闘員虐殺)に健一が参加したと検事側は云うのです。健一君の小隊はそのときは別の任務にかり出されていて出動せず、全く知らない事なのです。ぼくら証人がいくらアリバイを証言しても、戦敗国の日本人の証言は聞き入れてはくれません。八ヵ月の裁判の後、何を考えたのか健一君は、突然「参加した」と云い出したのです。これは嘘です。戦争は連帯責任である以上、日本人の誰かがやったことだから、俺にも立派な責任がある、と健一君は云うのです。しかし歪(ゆが)められた愛国心だとぼくには思われてたまりません。……死刑囚として独房にいた七百五十日の間、戦争は連帯責任だと云っていました。……自分の命を救ってくれようとして貧しい祖国日本が巨額の賠償を支払わされる事は困ると心配していました。
……真夜中健一君は突然叩き起されたのです。……いきなり死刑執行令状を突きつけ、ガチャンと手錠をはめられ、トラックで刑場に連れて行かれたのです。……雨のシトシト降る夜でした。木のワクの絞首台を昇りつめると踏板が割れて、ぶらさがる仕組です。一段一段と健一君は青服のままゲタ履きで十三の階段を昇っていきました。……健一君の死骸は絞首台から三十米ほど離れた、問天(モンテン)墓地(ルパ)へ埋められました……』