2014年9月1日
akira's view 入山映ブログ お役所委せ
テレビ朝日の報道ステーションで、膳場アナウンサーが湯沸かし器、エレベーター事故遺族にインタビューする。異口同音に(お役所が、あるいは法律で)厳しく取り締まる、規制することを望んでいるのが印象的だった。(8月4日夜)ちなみに同番組の食品偽装を巡る「街の声」でもコメントはほぼ同旨である。言葉を換えれば、いまだにお役所の、あるいは公権力による措置を信じている、あるいは期待を持っている、ということに他ならない。これほど杜撰極まりない年金行政、呆れるばかりの無駄遣い、さらには天下りだ、縄張り意識だという、かの黒澤明の名作「生きる」が50年以上前に喝破している本質と何の変わりもないお役所仕事。それでも善良な国民はそれに信をおく、あるいはおかざるを得ない虚しさといってもよい。
遺族の方々を批判している訳ではないから誤解しないで欲しいのだが、要するに何か社会問題が発生すると「オカミは何をしている」という大合唱が起きる風土と同根の問題だ。何がそれに代わりうるか。民間の非営利組織でしかあり得ない。もちろん行き過ぎがあったり、偏向した行動が見られないでもない(ラルフ・ネーダーあるいはグリーンピースを想起されたい)NGO・NPOではあるが、権力におもねらず、利益を貪ることなく、(そんな理想的なあり方が現実にどれほど可能であるかの議論はあるにもせよ)「世のため、人のため」に活動する組織には大きな可能性がある。
そうした活動にはオカネがかかる。活動に意味を持たせるためには善意や志だけではなく、専門的知識が絶対に必要だし、プロが「霞を食べて」無償で奉仕してくれることを期待は出来ない。第一それでは長続きしない。流行の言葉でいえば持続可能性がない。詳しく話しだすとうんと長くなるからかいつまむと、そうした活動に対する寄付、あるいは活動それ自体に対して税金の上で奨励する措置は、こうした活動を活性化する有力な手段の一つだ。規制を強化し、それによって天下り先を確保し、権力欲を満足させるお役所に「取り締まり」を委せるというのは、下世話にいう「泥棒に十手捕り縄」そのものだからだ。
お役所にしてみれば話は全く別で、「知らしむべからず、よらしむべし」の現在の風潮がそのまま持続してくれるに越したことはない。世のため、人のためのことは全てオカミにお委せで、全知全能な官僚が全て取り仕切る現状がよいに決まっている。だから、こうした民間の活動に対してはなんとか自分のコントロールの下におきたがる。それが一番露骨に現れているのが、現在進行中の「公益法人制度改革」だ。なんとかして民間非営利活動に手綱を付け、箸の上げ下ろしにいちゃもんをつけるべく、優秀な頭脳を振り絞ってあの手この手を駆使している。これはなんとかしなくてはならない。そのためには、どんな形でもよいから一人一人の市民がこうした活動に関与することだ。時間でもよい、オカネでもよい、関心を持つだけでもよい。お役所委せで世の中が良くなる、と思うのなら話は別だが。
2008年 08月 05日