2014年9月8日
akira's view 入山映ブログ ケント・カルダー
永く駐日米国大使のアドバイザーを務め、日本通として知られるケント・カルダーが、新著「米軍再編の政治学—駐留米軍と海外基地のゆくえ」の内容紹介をかねたスピーチをするというので、8月12日外国特派員クラブに出かけてみた。
主題そのものは極めて一般的な話で、基地存在の長期化というのは朝鮮戦争以後の比較的新しい現象で、それまでは限定的な作戦目的のための短期的なものだった。長期化に伴って四つの要素が基地の存続にとって重要になったという。
一つは基地存在の正統性(legitimacy)で、例えば第二次大戦後のイタリーで、自由と解放をもたらしたと看做された米軍の存在は、その後全く存在そのものに疑義を抱かれることなく今日に及んでいるという。
第二は基地受け入れ国の政治情勢変化(political transition)で、特に基地からの第三国に向けての出撃(third country deployment)を巡って議論の噴出した韓国・フィリピン・スペインなどはその例であるとする。
第三は基地運営(operation)の巧拙で、沖縄の少女暴行事件に典型的なように、住民感情との軋轢が発生することになると、事態は急変するという。
そして第四が基地維持の費用負担(funding)の問題で,これは基地存続に伴う騒音その他の受忍を余儀なくされる問題とともに、極めて大きな要素になるとする。その意味で日本の40億ドルに及ぶ思いやり予算(英語で言えばhost nation supportである。なんという訳語であろうか。)は人件費以外の基地費用の6割以上に達する極めて大きな要素であるという。
まあ、こうした分析はまことにごもっとも、という他はないが、付随する分析や、彼の話に引き続き行われたQ&Aの方が、よほど新鮮な内容を含んでいた。例えば彼は、三番目の日本における円滑な基地運営を可能ならしめている要素の一つとして、旧防衛施設庁の現地事務所の存在を挙げる。こまめに現地の問題が重大化する以前に解決する機能をさしているらしいのだが、国家公務員が地方自治体に派遣されていることについてのネガティブな側面を強調するわが国の論調を知ってか知らずでか、日本通の彼にしてこの言があるのは極めて興味深かった。
また、質疑応答の中で、米国に向けて発射されたミサイルを撃破できなかったり、共同作戦中の米国艦船に対する攻撃に対応できないという、いわゆる集団的安全保障の問題について、そんな片務的な条約を米国が容認できるのか、という刺激的な質問に対して、「問題の所在を端的に指摘する質問者の力量には敬意を表する」と微笑を浮かべて応答しながら、「日米同盟というのはもっと広汎(broad)な内容のものであり、そうした一つの例によって影響を受けるものではないだろう」とかわした。日本の民主党(特に鳩山氏)の基地問題に対するコメント、あるいはオバマ氏のブレーンと目される人々の発言に対しても、「政権党の立場になれば自ずからもっと真剣になるだろう」と返答。日本の防衛問題に対する曖昧な対応(ambiguity)についても、「曖昧さそのものがバランシング・パワーになっていると思うよ」と余裕の回答である。小泉・安倍・福田政権の対中姿勢の変化についても「政治的対応(political play)の差に過ぎず、基本的姿勢に変化があったとは思わない」という。
「敵か見方か」と対応を迫ったり、善玉と悪の枢軸を二分したりする米国の政治的発言にこのところ慣れっこになっていたわれわれに取っては、ダブル・スタンダードとは違った意味で二枚腰、三枚腰の外交対応の発言を久しぶりに聞いたような気がしたものだ。とかく黒白をはっきりさせることの好きな日本の外交論調の中で、こうしたやり取りを久しぶりに聞いたような気がしたことだった。
2008年 08月 12日