2014年9月12日
akira's view 入山映ブログ 雁行形態の終焉
深川由起子早稲田大学教授が「雁行形態アジア観の終焉」という興味深い記事を執筆されている(8.18朝日朝刊7面オピニオン)のは、お読みになった方も多いと思う。20世紀末に、日本を先頭にしてNIESがあたかも雁の群の飛行のように経済発展を遂げてゆく、というモデルが唱道された。ところが、深川氏によると、韓国については。事態は全く別の様相を示しつつある、という。
グローバリズムの負の側面への対処に当たって、韓国は通貨危機後の不良債権処理で先行し、ITにおいても世界最先端をゆくのみならず、空港・港湾等のインフラ整備に当たっても「ばらまき」は行わずに国際競争を念頭に置いた整備を図った。さらに中国・インド・ロシアなどの新興市場にいち早く進出したのみならず、これまでの因習にこだわらないビジネス手法で日本ブランドを圧倒し去った他、文化芸術についても「韓流」として輸出産業に仕立て上げた。難航するWTO多国間交渉に見切りをつけ、野心的な二国間FTAに踏み切ったのも韓国がアジアで一番早かったという。日本の後を追って、どころの騒ぎではない、という訳だ。
強硬な労働組合や感情に流されがちな市民団体などへの目配りをしているところを見れば、単純な韓国賛歌でもないことは明らかだ。のみならず、多国間交渉に「見切りをつけて」二国間交渉に走るのが世界経済にとって望ましいか否かも、深川氏はもちろん先刻ご承知の筈である。そもそも雁行形態発展論の終焉自体、これまでにも中国やITとのコンテキストにおいてしばしば論者の指摘するところであり、それとしては目新しいものではない。(終焉論が日本の論客によって否定されるのを常としたのも改めて指摘するまでもあるまい。)とすると、深川氏の今回の問題提起は、日本優位を所与のものとして極楽とんぼになっていないで、学ぶべきものは後発国の政策からも学んではどうか、というメッセージと読むのが妥当なのかもしれない。しかし、問題はその先にある。当然とも見えるグローバル化世界への対応を阻害し、遅延させ、あるいは逆行さえしているように見える日本の基本的な問題はどこにあるのか、という点だ。
一つはいうまでもなく位置エネルギーに拘泥し続けるお役所の無策と、それに対して指導力を発揮するどころか助長さえしているかにみえる政治の貧困である。依然として旧来の手法や価値観から脱却していない、どころかますますその方向への回帰を強めている日本の政・財・官への痛烈な批判が深川氏の念頭にあるのかどうかは、少なくとも明示の形では示されていない。だからこれを深川氏の指摘するところだと強弁するつもりはない。しかし、少なくとも現状打破のプライオリティを誰が、いかに示しうるかという論点の提起であると読むことは出来るように思う。その主体がお役所の作文ではあり得ないことを自明の視点とした上で、と付言しておこう。それこそは大きな政府でも小さな政府でもない第三の途に連なると思われるのだが(7.5「増税の前に」)。
そして第二に、しかし実はこの方がもっと深刻なのだが、短期資本の移動や、拝金主義(mammonism)の変形ともいうべき実体経済を離れたカネ自体の経済目的化にいかに歯止めをかけるか、その実施可能な背策はどこにあるのか、という点だろう。(6.5「バブル」)相場動向そのものは、高止まりであろうが、原点回帰であろうが、いづれ落ち着くところに落ち着く。問題はその間のタイムラグが破壊的な影響をもたらすのをいかに極小化できるか、という知恵のように思われる。万能薬のような解決策がある筈もなく、幾つかの手段の複合になるのは明らかだが、それさえも議論に昇らない日本の政治状況はいかがなものか、という点で深川論文に回帰する。
2008年 08月 21日