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2014年9月14日

高遠そば-2-6 荻野鐵人

こうしたおり、足利尊氏木像梟首(きょうしゅ)事件が起きた。文久3年2月22日、足利家代々の菩提寺等持院(とうじいん)に浪士たちが押し入り、本堂にあった尊氏・義(よし)詮(あきら)・義満の木像の首を落し、四条大橋下の鴨の河原に獄門首を晒した。業を煮やした京都守護職たる松平容保がはじめて積極的な治安行動に出て、元会津藩公用局大庭恭平の情報のもとに犯人たちを一網打尽にした。容保の「厳刑に処すべし」に対し、長州尊攘派の赦免運動により朝廷は、「守護職の捕らえた足利三代の木像を辱しめた者どもは、その心事を酌量すれば実に正義の士と言うべきで、その刑期を寛くすべし…」との朝命を出した。心事とは、逆賊尊氏を憎んでのことというのである。会津藩の治安への努力を無視しての朝命に対し柴太一郎は、腹立たしさに胸が張り裂ける思いだった。
京都の街に再び暗雲が立ち込め、殺気があたりを覆った。暗殺、放火、強姦、晒首が日常茶飯事となった。
京都守護職という公的立場にある会津藩は、過激派浪士たちと正面から斬り合うことはできなかった。そこで、公用局が考えたのは、水戸浪士芹沢(せりざわ)鴨(かも)、江戸御府内浪士近藤勇・土方歳三ら、仙台脱藩沖田総司らの特殊戦闘部隊である壬生(みぶ)の浪士隊(のちの新選組)を京都守護職松平肥後守容保御(お)預(あずかり)とし、彼らに浪士狩りをさせることにした。
朝廷を牛耳る三条実(さねと)美(み)(26歳)、姉(あねが)小路(こうじ)公知(きんとも)(24歳)に攘夷実行の期日を執拗に迫られ、困り果てた将軍後見職一橋慶喜は、攘夷決行の日取りを5月10日と決め、さっさと江戸に帰ってしまった。



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