2014年9月15日
akira's view 入山映ブログ グルジア(3)
グルジア情勢はロシアの撤兵合意によって一段落したかに見えたが、ロシアのメドベージェフ大統領が、ロシア議会の決議を受けて南オセチア、アブハジアの独立を承認したことによって、にわかに緊迫の度を増した。冷戦の再開と報じるメディアからも知られるように、ことは前回(8.22「グルジア(2)」)駐日グルジア大使の述べたようなプーチンの「駆け引き」の拡大版に過ぎないかどうか、懸念が高まっている。
旧ソ連の周辺部を巡っては民族自決、ロシアとNATOの影響力拡大の意図などが複雑に絡み合って様々な混乱が発生していることは枚挙に暇がない。旧ユーゴスラビア、チェチェン、さらにはウクライナからモルドヴァと、グルジア以外にも現実に戦闘が発生したり、戦闘に至らないまでも一触即発の事態が至る所で展開している。単純に図式化すれば、ソ連崩壊に伴って西側に雪崩を打って所属してゆく旧ソ連周辺諸国を、歯噛みをしつつ見守っている他はなかったロシアが、膨大なエネルギー資源の開発と価格高騰によって経済力をつけることによって反撃に転じた、ということになる。分断された民族が自決を求めて様々な動きに出ているのは何も旧ソ連に限らない。バスクも、クルドも、そしてチベットも同じ類型に属するといってよい。だが、西側の介入の意図とロシアの勢力拡大意図が正面から相対し、その裏に豊かなエネルギー資源の供給路という問題が存在している点で、コソボとグルジアは特異な存在になっている。
口には民族自決を唱えるが、その実は代理戦争的な性格が強い、という先のグルジア大使の発言も正鵠を得ていないでもない。というのも、南オセチア、アブハジアにおけるロシア(旧ソ連)の軍事的プレゼンスは何も昨日今日始まったことではないからだ。10年前、不幸にも中央アジアでその若い命を絶たれた秋野豊氏は、ソ連周辺部におけるロシアの軍事的影響力を身を以て調査する、という破天荒な手法で地域研究に没頭した学者だった。25日朝日夕刊2面「窓」の脇坂紀行氏「ユーラシアへの思い」はその一端を伝えているが、秋野氏は自らソ連領内への不法入国を試み、南オセチア、アブハジア国境守備隊にわざと逮捕される。その上で現地司令官との面談を要求し、果して実際に指揮を執ってているのが誰かを自分の目で確かめた。結果はいづれもロシア軍人だったというのだ。そんな事情は百も承知で、グルジアのサカシビリ大統領は敢えてロシアの挑発に乗って先制攻撃を試みた。NATOの迅速な介入を期待したのが彼の誤算だったという人もいるが、彼の冒険主義が一連の事態の引き金を引いたという要素はある。特に、南オセチアはグルジア支配を潔しとせず、1990年代から実質的に自治政府を持っているというのも他方の事実であってみれば、ことは単純な黒白で割り切れない側面も存在する。
ロシアのロゴツィンNATO大使が、サカシビリ大統領を、オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝フランツ・フェルディナンドの暗殺者プリンチップに喩え、その行動が再度世界大戦を勃発させないよう望む、と発言したと伝えられるのは、こうした事情が背景にある。人道救援物資を積載したNATOの軍艦がボスフォラス海峡を通過したり、ロシアがモルドヴァに対して類似の行動に出るのを牽制したり、事態はきな臭さの度を増しているように見える。ヨーロッパのメディアには、サカシビリの冒険主義とロシアの過剰反応を責める声は同時にあげられている。おりしも唯一の超大国アメリカは大統領選が終盤に近づき、現政権の決定的なコミットメントは期待しがたい情勢にある。それかあらぬか、ドイツとフランスが外交努力を主導することに対する期待の声も高い。プーチンはメドベージェフを表に立てて沈黙を守っていると伝えられるが、果して彼の意図が本当に「駆け引き」に尽きるのか、また、豊かな天然資源の供給ルートを巡っての「駆け引き」がどのような解決策を予定するのか。おそらくはグルジアと南オセチア、アブハジアとの間に、チベットで採用されたような、なんらかの「文化的自治」協定のようなものはその一つかもしれない。
2008年 08月 27日