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2014年9月22日

高遠そば-2-13 荻野鐵人

長州に対する処罰として、会津公用局手代木直右衛門の意見は長州藩主毛利父子の蟄居謹慎、禁門の変の責任者、福原越後、国司信濃、益田右衛門介の斬首、山口城破壊であったのに対し、薩摩にくわしい秋月悌次郎は、長州をある程度許さないと、長州・薩摩間の同盟の危険性があると主張したが、容保はこれをしりぞけ秋月悌次郎は失脚した。
長州に対して更に追い討ちをかけるように、イギリス公使オールコックはフランス、アメリカ、オランダの公使に持ち掛け、馬関海峡を封鎖する長州を攻撃することに踏切った。連合艦隊の17隻の軍艦が撃ち出す艦砲射撃は下関をゆるがし、2千の陸戦隊が上陸し大砲を壊し弾丸を海中に捨て戦いは終わった。長州は3名の講和全権大使を旗艦ユーリアラス号に送って来た。クーパー提督は家老宍戸(ししど)刑部(ぎょうぶ)の服装を見て驚いた。黒の鳥(え)帽子(ぼし)、黄色の地に大きな浅黄の紋章を描いた陣羽織、手に采配を握り毛靴をはいている。この宍戸刑部こそ高杉晋作である。この危機を乗り切り連合艦隊と和平交渉ができるのは、奇才高杉晋作をおいてほかになかった。高杉は海峡通行の外国船の優遇、砲台の撤去は認めたが、賠償金3百万ドルの要求は敢然として断った。会談は3日続いた。
『外国船の砲撃を命じたのは幕府である。われわれは将軍の命令によって攘夷に踏み切ったまでだ。賠償の責任は幕府にある。幕府から受けとってくれ』
高杉ならではの論法だった。すべての人々は顔を見合わせて唖然とした。長州は外交交渉で互角に戦った。『高杉は恐るべき男だ』アーネスト・サトウはひそかに舌を巻いたという。この日を境に長州藩の歓待が始まった。イギリスに密航していた伊藤俊(しゅん)輔(すけ)(のちの博文)、井上聞多(のちの井上馨)が、つきっきりで案内し酒色をふるまった。さらに高杉は説明した。『自分たちは天皇と将軍の双方から攘夷の命令を受けた。ところがそれを正直に実行したために京都から追放され、今このような立場に立たされている』
『禁門の変(蛤御門の変)は、京都の長官である松平容保が仕掛けたもので、長州はその防衛をしたにすぎない』
クーパー提督やアーネスト・サトウは次第にこの話を信じ、長州肩入れへと傾斜していったのである。高杉の起用は成功した。柴太一郎ら会津藩公用局の面々は、長州の変わり身の早さにあきれ返った。



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