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2014年9月23日

高遠そば-2-14 荻野鐵人

この年の暮れ長州藩は西郷吉之助(隆盛)の提案である藩主毛利慶親父子の謹慎・禁門の変(蛤御門の変)首謀者の長州藩自らの手による処罰・八・一八政変で長州に亡命した七卿の追放の三条件を受諾し藩主父子は菩提寺に謹慎、亡命公卿は筑前太宰府に転居、福原越後・国司信濃・益田右衛門介の三家老の切腹と佐久間佐兵衛ら四人の参謀を斬首して恭順の意を表した。
元治元年は瞬く間に過ぎ、翌年、年号は慶応と改められた。長州が再び、反旗を翻したという情報により、京都守護職に衝撃が走った。長州は叩いても、叩いても頭をもたげる不死身の怪物であった。
高杉晋作が革命軍を編制し、自ら正義派を名乗り恭順論の拠点萩を攻略し、山口に藩庁を移し長州の実権を握ったのだ。高杉は勤皇倒幕と世界に扉を開いて貿易をすることによる武備の強化を主張していた。桂小五郎も京都から戻りこれに大村益次郎(村田蔵六)が加わり挙藩軍事態勢が敷かれた。大村が上海に渡り高杉が長崎に行きイギリス領事ガワーと協議下関を開港し、1万挺に及ぶ新式銃と弾薬を購入した。
亀山社中なるブローカー組織の長である坂本龍馬は幕臣勝海舟の紹介で京都で西郷隆盛に会い、『朝敵となった長州が、グラバーから武器を購入するのは都合が悪いので薩摩の名義を貸してやってほしい』と要請した。龍馬の斡旋により7月24日、長州の井上聞太・伊藤俊輔は薩摩藩名義で武器商人トーマス・グラバーから大量の武器購入に成功した。後年、グラバーは『徳川に対する反逆者中、私こそ最大の反逆者であろう』と述べている。
9月には、イギリス艦5隻、フランス艦3隻、オランダ艦1隻からなる連合艦隊が大坂天保山沖に現れ、大坂市民を恐怖に陥れた。連合艦隊の目的は通商条約の勅許、兵庫開港である。容保は御所に向かい関白を説得、公用局の手代木直右衛門・広沢富次郎・柴太一郎らが公卿たちを説得しついに開港条約の勅許を手に入れた。頑固な攘夷論者であった孝明天皇も連合艦隊の出現の前に、ついに兜を脱いだ。
幕府は慶応2年夏長州攻撃に踏み切った。21歳の将軍家茂に先祖伝来の黄金細工の甲冑を着せ白馬にまたがらせ、金扇と銀三日月の馬印を掲げて入京させた。将軍御親征である。6月7日、幕府の軍艦が周防大島郡に砲火を浴びせ、第二次征長戦争の火蓋が切って落とされた。



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