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2014年9月28日

高遠そば-2-18 荻野鐵人

これで最も落胆したのが、岩倉具視と大久保一蔵である。国家権力の中枢に自分たちが座を占めるためには武力による倒幕しか無かったのだ。流血の惨事をひきおこし、その功によって新政府の要職につく、その野望を果たすためには、どうすれば良いか。そこで岩倉が考えついたのは偽の詔勅を作ることであった。2人は岩倉家に居候している玉松操に書いてもらった。
 『詔(みことのり)す、源(みなもとの)慶喜、累世(るいせい)の威を藉(か)り、闔賊(こうぞく)の強を恃(たの)み、みだりに忠良を賊害し、屡々王命を棄絶す。遂に先帝の詔を矯(た)めて懼(おそ)れず、万民を溝壑(こうがく)に擠(おと)して顧みず、罪悪の至る所、神州まさに傾覆せんとす。朕(ちん)は今民の父母となり、この賊を討たずんば、何を以ってか上(かみ)先帝の霊に謝し、下(しも)万民の深懼(しんく)に報ぜん。これ朕の憂憤のある所、諒闇(りょうあん)にして顧みざるは、万已(や)むを得ざるなり。汝よろしく朕(ちん)の心を体し、賊臣慶喜を殄戮(てんりく)し、以って速やかに回天の偉勲を奏し、生霊(しょうりょう)をして山岳の安きに惜(お)かからしむべし。これ朕の願ふ所、あえて或は懈(おこた)る勿れ』
この文書は急遽、島津久光・茂久宛てのは、正親町三条実愛によって、毛利敬親(慶親)・広封(定広)父子宛てのは、中御門経之によって清書され、正親町三条実愛邸で薩摩藩の大久保一蔵と長州藩の広沢兵助に渡された。
後年、正親町三条実愛は、元館林藩士岡谷繁実の質問に対し『この文書は、自分と中御門経之と岩倉具視と玉松操の4人しか知らないのだ』と語っているし、これを書いた公卿の花押もない。つまり偽勅なのである。
同じ手口で、京都守護職松平容保、京都所司代松平定敬を討てとの偽勅も作成された。
慶応3年(1867)12月9日西郷吉之助の率いる薩摩藩兵が大挙して御所に押し寄せ、禁門警備の会津、桑名の兵を駆逐した。しかしこの時、二条城には当時わが国最大最新鋭の幕府軍洋式歩兵5千がいた。急を知って会津藩兵3千、桑名藩兵千五百が集結した。大坂城には1万を越える洋式軍装の幕府陸軍がいる。慶喜がこの時、命令を下してさえいれば、薩摩軍も、続々と入京しつつある長州軍も、撃退することができたのだった。



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